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摘読録ーーMy favorite words 第42回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

君は、君の行動原理が同時に普遍的な法則となることを欲することができるような行動原理だけにしたがって行為せよ

――イマヌエル・カント/中山元訳『道徳形而上学の基礎づけ』(1785)

 

「道徳」という語は手垢にまみれている。手垢にまみれているのは、それが扱いやすいからだ。扱いやすいのは、種々雑多な感情や心的傾向に馴染むからである。つまり、ご都合主義的な利便性をもつわけだ。カントは、こうした通俗道徳を、みずからが探究する「道徳」と峻別しようと企てた。理性から無条件に発せられる至上命令、カントにとってはそれこそが道徳であった。

 

そのためにカントは、俗に「道徳」と称されるものの道徳としての資格をチェックする方式を探究した。その探究の最初の成果が『道徳形而上学の基礎づけ』であり、そこでカントは、道徳的な行いの在り方を冒頭のことばのように規定してみせたのだった。いつでも、どこでも、誰にでも――あたかも自然法則のように――当てはまることを欲しうる、そのような行動原理のみにしたがって行為するならば、その行為は善き行いであって、「道徳」の名にあたいするというわけである。

 

カントは「寛容」「慈悲」「正直」「誠実」などの徳目を数え上げることをしていない。ここに引いたカントのことばは、こうした徳目が、ほんとうに「道徳」の名にあたいするかどうかをチェックする方式を示しているだけだ。いいかえれば形式だけがあって内容がない。だから、道徳論としては物足りない思いを抱くかもしれないけれど、具体的な徳目が民族や国家や時代のバイアスによって制約されがちであることを思うとき、また、鼻持ちならない通俗道徳を押し返すうえで、この方式は、がぜん重要性を帯びてくる。道徳性のチェックは「道徳の清算」(ニーチェ)でもありうるのだ。

 

 

いうまでもなく善き行いは自発的なものでなければ意義をもたない。「欲する」という言葉には、そのような意味合いが感じられる。自発的ということは、見せかけではないということを含意している。見せかけでないとは、善き行いが何事かの手段ではないということ、踏み込んでいえば、善き行いそのものが目標として目指されているということだ。

 

「普遍的」というのは、誰にでも当てはまるということだから、カントの方式は他者の存在を前提としている。すなわち、他者との相互性が想定されている。自己の「行動原理」が「普遍的」であるならば、同じ「行動原理」に拠る他者の行動が自己に差し向けられることを受け容れなければならないわけである。

 

こうした相互性を成り立たせるためには――あるいは、相互性を成立たせてゆく過程においては――自己愛にまみれた独善を排する努力が必要となる。いいかえれば、他者への責任と共感にもとづく社会的な想像力の行使が要請される。すなわち、想像の力を借りた普遍化が求められる。カントのいう「理性」にはキリスト教の神の影が感じられるが、一神教になじみのうすい地域や時代において道徳を探究するには、とりあえず、こうしたスタンスをとるほかない。

 

 

自己の「行動原理」を普遍化するということは、自省をともなう社会的拡張過程にほかならず、その過程で幾多の他者たちが普遍性の試金石として呼び出されることになる。顔を想いうかべることのできる身近な存在から、姿も定かならぬ抽象的存在に至るグラデーションのなかから、さまざまな他者を訪ね歩くようにして普遍化の企ては進行してゆく。この過程は、いささか推敲の過程に似ている。

 

カントの表現は厳密さを期するあまり、まわりくどく分かりにくい。しかし、たとえ即座に理解できないとしても、なんとか理解しようとあれこれ考えをめぐらせるならば、カントの想い描く道徳へと徐々に接近することができるにちがいない。あるいは、こういってもよい。この模索が道徳性を喚起し、自己の「行動原理」に対する反省を促すのだ、と。自省的に普遍化を探究することは、自己の「行動原理」を批判的に修正してゆくことでもあるだろう。

 

「普遍的」であろうとして模索をつづける構えと「行動原理」にかんする反省の重要さは、アイヒマンがイェルサレムにおける裁判で、自分はカントの道徳の格率に則って生きてきたと証言したことに見てとることができる。普遍化の努力と反省のないところではチェック機能は空転するほかなく、その結果、独善性がまかりとおることにもなるのだ。

 

2022年6月22日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第41回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

我れ其れ風と為[な]らん哉

――中江兆民『三酔人経綸問答』(1887)

 

『三酔人経綸[けいりん]問答』は三人の酔っ払いが国家の有りようについて語り合うという意味である。大の酒好きだった中江兆民に如何にもふさわしい題名だ。

 

ある日、「南海先生」のもとを訪れた「洋学紳士」と「豪傑君」が議論する趣向で政治談議が展開してゆく。簡単にいえば「洋学紳士」は民主主義を標榜するリベラル派であり、「豪傑君」は侵略主義のスタンスをとる。「南海先生」は両者のあいだにあってリアリズムの立場から仲をとりもつ。

 

この三人は兆民の内なる会話者であって、兆民の思想のダイナミズムを示している。背景となっているのは19世紀末、弱肉強食の帝国主義の時代だ。

 

  

「洋学紳士」は日本社会における「左翼」の原型とも目される人物で、徹底した非戦論の立場から国家の在り方を説いて倦むことがない。たとえば、彼は「自由を以て軍隊と為し、艦隊と為し、平等を以て堡塞[ほうさい]と為し、友愛を以て剣砲[けんぽう]と為すときは、天下豈[あに]当る者有らん哉[や]」という。自由、平等、友愛という大革命期フランスのスローガンを以て防備を固めれば、敵するものがあるだろうかというわけだ。理念を以て武器にかえる発想は、非戦論の極致を示している。

 

だが、この論はかなり浮世離れしてみえる。まんがいち侵略されたときはどうすればよいのかという問いがしぜんと浮かんでくる。「我れ其れ風と為[な]らん哉」は、それに対する彼の答えである。軍備撤廃に付け込んで侵略してくる者があったら、武器を手にせず、一発の弾丸も持たず、礼儀正しく侵略者を迎え入れればいい。そのとき彼らに為す術があるだろうか。「剣を揮ふて風を斬らんに、剣如何に鋭利なるも、風の飄忽茫漠[ひょうこつぼうばく]たるを奈何[いかん]せん」というのだ。わたし(たち)は風になろうではないか、と。

  

こうした考えの根柢にあるのは人間存在の普遍性への信頼であった。紳士は、だから「我れ今日[こんにち]甲の国に居る、故に甲国人なり。我れ明日乙の国に居れば、又乙国人ならんのみ。大劫会[だいごうえ]の期[き]未だ至らずして、我[わが]人類の故郷たる地球猶[な]ほ生活する間は、世界万国、皆我[わが]宅地に非ず乎[や]」というのである。「大劫会」すなわち世界の終末が到来せず、地球が生きてあるあいだは、国境を越えて大地はすべて人間の棲家たりうるというわけだ。

 

  

ウクライナ戦争の現実を思い併せると、「洋学紳士」の主張は取るに足らない理想論にみえる。彼も、このくだりを後段において「弾[たま]を受けて死せんのみ。別に繆巧[びゅうこう]の策[さく]有るに非ざるなり」とパラフレーズしている。

 

しかし、その主張は、同じウクライナ戦争によって力強い現実性を帯びもするのではないだろうか。ウクライナ戦争を介して核ミサイルによる第三次世界大戦の危機に直面している現在、防衛すべき対象は個々の国家などでは、もはやありえないからである。

 

地球のどこかで大規模な核戦争が起こったら、地球は膨大な煤煙に包まれ、大気はブラックカーボンによって汚染される。太陽光がこれによって遮断されるため平均気温は氷河期並みにまで下がり、降雨量も激減する。気温と降雨量が現状に復するまでには、かなりの年月を要する。

 

核戦争後の世界では、したがって農耕が困難を極めることになる。飢餓が全土に広がり、カニヴァリズムが横行するのは必定だ。しかも、放射線による病魔が絶えまなく人間を蝕んでゆく。「大劫会」の到来である。

 

このような状況にあって、核シェルターがいったい何の役にたつだろうか。それは苦痛を長引かせ死期をわずかに先延ばしにするものでしかありえまい。

 

  

ではどうすればよいのか。核戦争に至り着かない工夫をするほかない。

 

「洋学紳士」は、こうも言っていた。

 

僕の意に於て、我邦人が一兵[いっぺい]を持[じ]せず一弾[いちだん]を帯びずして、敵寇[てきこう]の手に斃[たお]れんことを望むは、全国民を化して一種生きたる道徳と為して、後来[こうらい]社会の模範を垂れしむるが為めなり。

 

武器も銃弾も持たずに、侵略者に殺されることを敢えて望むのは、全国民を生きた道徳として未来の手本としたいからだというのだが、このどうしようもない理想主義は、核戦争後の人類の境遇に照らすとき、不思議なリアリティを帯びてきはしないだろうか。護られるべきはこの地球であり、人間の集団なのだ。

 

最後にもうひとつ「洋学紳士」のことばを引いておこう。語釈は省く。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を思い出してもらえば、それで充分だと思うので。

 

頭上唯[ただ]青空あるのみ、脚下[きゃっか]唯大地あるのみ。心胸[しんきょう]爽然[そうぜん]として、意気闊然[かつぜん]たり。唯永劫を永[なが]しとして、前後幾億々年所[ねんしょ]なるを知らず。始[はじめ]なく終[おわり]なければなり。唯大虚[たいきょ]を大[だい]なりとして、左右幾億々里程[りてい]なるを知らず。外なく内なければなり。

 

ジョンとヨーコの “Love & Peace”という能天気ともみえるスローガンは、「核抑止」信仰の愚劣さと釣り合っている。

 

 

  

※末尾の引用文にある「闊」は、原文ではサンズイを付す異体字。

 

 

2022年6月8日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第40回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

おまえとこの世の戦いにおいては、この世に肩入れをせよ。

――フランツ・カフカ/池内紀訳「アフォリズム集成」(1918)

 

「この世」とは人間が生きる場というほどの意味である。場というのは、たんなる物理的空間ではない。そこでは、人と人、人と物、人と事、物と物、事と事とが、人間のさまざまな行為を介してかかわりあい、それによって複雑な意味連関を形成している。そういう入り組んだ生の場、それが「この世」であり、人間は、そこを離れては生きていけない。というより、人間でありつづけることができない。マルティン・ハイデガーは『存在と時間』のなかで、こうした人間の在り方を「世界-内-存在」と呼んだ。カフカの死と相前後する時期のことである。

 

カフカが書き残したこの逆説は、人間と世界のこうしたかかわりを踏まえるならば、比較的たやすく読み解くことができる。自分が戦う当の相手である世界に自分自身が取り込まれているのだから、戦い続ける自分であるためには、けっきょくのところ世界に味方するほかないという理屈である。

 

ただし、この理解は、あまりにも形式的すぎる。ここで目を凝らすべきなのは、こうした窮余の事態そのものだろう。世界に生を託すほかない存在が、その世界に異和をかもすところから、この不条理な事態は生じているのだ。はじめは、ほんの小さな傷のようなものだった異和が罅となり裂け目となって、世界との確執が深まり、拡がってゆく。疎隔感や息苦しさにふと気づくところから始まり、やがて堪えがたい痛苦の感覚が襲ってくるのである。

 

この痛みは意識の切っ先によってもたらされる。意識は、つねに何ものかへの意識であり、その意識の尖端が世界に差し向けられるとき疎隔感が生まれ、その疎隔感が世界と自己のかかわりの息苦しさに気づかせるのだ。しかも、世界と自己の裂け目は、「世界-内-存在」としての自己を介して世界にも――たとえば近親者のあいだに――痛みをもたらさずにはいない。

 

だが、世界との戦いにおいて世界に味方するというのは、「戦い」をやめることではない。世界を傷つけるのをやめるということではない。人間が意識をもつかぎり、それは不可能だ。「この世に肩入れをせよ」というのは、意識がいやおうなく世界に残す傷を、そのつど癒すということなのだ。

 

傷は致命傷でないかぎり治癒してゆく。積極的な治療が試みられ、自己治癒力もはたらく。そうしなければ世界に膿がまわりかねないし、自己が肉片のように世界から切り捨てられることにもなりかねない。

 

このようにして、ひとはいやおうなく世界に「肩入れ」することになるのだが、しかし、そこには傷痕がのこる。線維組織が盛り上がった瘢痕[はんこん]が出現する。傷の治癒によって世界は傷痕を印づけられ、それによってわずかながら姿を変える。わずかとはいえ傷は「この世」に生まれ死んでいった人間たちの意識の痕跡だから、その数ははかりしれない。世界は数えきれない傷痕と未だ癒えざる無数の傷とに覆われている。

 

このアフォリズムは手稿を見ると全文が鉛筆で抹消されているという。カフカは、逆説的なやり方で傷を癒そうとしたのにちがいない。

 

 

2022年5月12日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第39回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

元来国と国とは辞令はいくら八釜[やかま]しくつても、徳義心はそんなにありやしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、余程低級な道徳に甘んじて平気でゐなければならないのに、個人主義の基礎から考へると、それが大変高くなつて来るのですから考へなければなりません。

――夏目漱石「私の個人主義」(1914)

 

いまや日常と化したウクライナ戦争の戦況報道は、侵略者による容赦なき破壊と殺戮のテロリズムを朝から晩まで飽くことなく繰り返し伝えている。戦場のありさまを捉えた生々しい映像は視聴者の「道徳」的感情をゆさぶり、記事やアナウンスは「徳義心」を刺激してやまない。たとえば、マリウポリの戦災で死んだ人びとの遺骸が黒い納体袋に収められ、親族に見送られることもなく、共同墓地の塹壕のような穴に次々と投げ込まれてゆくさまを目にするとき強い情動に襲われずにはいない。それにつれて「自由」「民主主義」「人権」あるいは「主権」といった啓蒙主義の置き土産が情動の色合いを帯びて喚起される。

 

ロシアが軍事介入したチェチェン紛争やシリア内戦でも同様の蛮行があったことは知られている。また、焦土と化したマリウポリの光景は、ドイツ空軍によるゲルニカ爆撃、日本軍の重慶爆撃、アメリカ軍による東京大空襲、NATOのコソボ爆撃へと連想をさそわずにはいない。「低級な道徳」にもとづく国家の「無茶苦茶」は今に始まったことではない。歴史にその例はいくらでも見いだされる。にもかかわらず、ウクライナ戦争における悲惨は、それらの先例を差し置いて特段に強い情動を誘う。これは、たんに現在の出来事だからというだけのことではない。おそらくSNSによるところがきわめて大きい。

 

SNSを介して、戦場からリアルタイムで送り届けられる動画は、揺れ動くフレームのなかに暴力性と身体性とをはらんで情動とも道徳意識ともつかぬ想いを鋭く喚起する。SNSはまた、ジャーナリストたちが命がけで取材した情報をシェアすることで、その影響力を増幅している。映像のリアリティは、フェイクニュースやプロパガンダによって至るところで綻びを生じているものの、それじたいが戦争のリアリティとして訴求力をもつ。

 

戦争は侵略者たちの道徳意識をも屈折したかたちで喚び起こしている。彼らは道徳意識と無縁の構えをとっているわけではない。みずからへの非難をかわすための口実あるいはカモフラージュとして道徳を利用している。病院や民間人の避難所に対する攻撃を指弾する声々に対して、それがどうしたと開き直るのではなく、攻撃しているのは偽装された軍事拠点であって、民間人を標的にしてはいないと繰り返し主張している。つまり、みずからの行為の道徳的正当性を言い立てている。

 

 

厄介なのは、啓蒙思想に端を発する近代の価値観を蹂躙するロシアの行動が、冷戦体制崩壊後の世界を駆動してきた新自由主義[ネオリベラリズム]の似姿のように見えることだ。たとえば徴兵された若者たちを消耗品のように戦地に送り込むロシア軍の発想は、人間を「資源」として扱ってきた新自由主義の発想と異ならない。ロシアの若い兵士たちは日本の非正規労働者たちの姿に重なって見える。そこには非人道性という共通点が見いだされる。

 

いわゆる「西側」諸国の言論は、しばしば、この戦争について自由民主主義と専制主義の対決というお決まりの構図をもちだすが、新自由主義の蜜の味を知った口がそれについて語るとき寒々とした滑稽さを免れない。民主主義が専制政治を生み出すアイロニーはさておき、新自由主義の支配するところに民主主義は成り立ち難いからだ。

 

人間社会を市場に委ねる新自由主義は、「自由」の焦点を市場経済に絞り込むことで啓蒙思想に由来する理念的豊かさを削ぎ落し、経済格差によって中間層が衰亡するに任せて「平等」の理念を骨抜きにし、非正規労働者の過酷な生が物語るように「人権」をないがしろにしてきた。産学連携を既定のこととして高額な研究費で大学を釣りあげようとする「国際卓越研究大学法案」にみられるような学術研究への市場原理の導入は、「理性」という啓蒙主義の根幹への侵害にほかならない。

 

そのうえ、新自由主義は新保守主義と相携えることでカビの生えた道徳観や民族意識の復活を促してきた。これを経済格差による社会の分断に対する備えとみることが可能だとしても、国家の介入を可能な限り抑制したい新自由主義の構えからすれば警戒すべき発想であるにちがいない。とはいえ、ナショナリズムや道徳にかんする権力の介入は、啓蒙主義への背反という点で新自由主義と軌を一にしている。人びとの内心への介入は「寛容」という啓蒙主義の掲げた美徳の否定にほかならないからだ。このような状況において自由な意志にもとづく民主主義が成り立つ余地を見出すのは難しい。新自由主義は「民主主義」の危機を醸成してきたのである。

 

 

新自由主義が推し進めるグローバリゼーションのもとにあって、市場原理主義の非人道性に対抗する思想を練り上げ、鍛え上げる努力が為されなかったわけではない。しかし、それを社会的に定着させることができぬままに、今日に至った感を拭い難い。グローバリゼーションと足並みをそろえたインターネットの拡がりは、近代を脱却する動きを急激に加速したものの、啓蒙主義的理想に取って代わる脱近代の思想が、あらたな価値観や道徳意識を社会に定着させえたとはいいがたい。日本社会をかえりみれば、それに取って代わるべき近代の価値観や道徳意識が社会的に定着していたかどうかさえも疑わしい。

 

たとえば、このたびの戦争は生存権、自由権、幸福追求権など「自然権」と称される諸権利を、あらためて思いおこさせる契機となったが、わたしたちは、それらの権利を、また、それらを支える思想や道徳観念を、自明のこととして美辞麗句のなかに封印してきたのではなかったろうか。それらの権利の淵源について、あるいはその正当性について――「義務の首位性」(V.ジャンケレヴィッチ)という想念に至り着くほどに――深く思いをめぐらす思想的営為が、いったいどれほどあったろうか。人間の価値が資源価値として量られ、芸術的価値さえも貨幣価値で量られる時代のなかでこそ、それが問い直されてしかるべきであったと思われるのだが、その日月をわたしたちは、はたしてどのように過ごしてきただろうか。高踏的な理論は別として、なにげない日常のことばで――ということは、つまり美辞麗句の封印を解くようにして――このことについて沈思することが、いったいどれほどあったろうか。お定まりの批判は別として、状況の痛点を衝くリアルなことばを、わたしたちは有しているだろうか。みずからを省みて忸怩たる思いを禁じ得ない。

 

ウクライナ戦争が、あらためて突きつけて来る戦争の野蛮と卑劣、それとの対比において道徳主体としての自分自身を省みること、つまりは戦争を自分自身の問題として捉え返すこと。続々と送り届けられる彼の地にまつわる情報に接する日々にあって、漱石のこのことばは、そう促しているように読める。国家の「低級な道徳」に対して、お前の道徳は果たして高い水位を保ちえているか、と。蛮行を「最も強いことばで非難する」のだとして、その「ことば」とは――憲法9 条を踏まえたものであることは当然として――いったいどのようなものでありうるのだろうか、と。

 

この問いかけは切実だ。核戦争にもつながりかねない戦況が、事柄を自己の問題として捉える切実さを、SNSのリアルな動画と相俟って強化している。

 

 

ロシアと、それを非難する西側諸国の鏡像的相似性は当然のことと思われないでもない。そもそも、1991年にソヴィエト連邦が解体されたのち、ロシアもまた新自由主義[ネオリベラリズム]が駆り立てるグローバリゼーションの動きに呑み込まれて今日に至っているのだ。人権や人道を踏みにじっていないと侵略者が抗弁するのは、グローバリゼーションにおける経済ネットワークから疎外されることを怖れるからだろう。

 

だが、事柄は、もうすこし複雑な様相を帯びている。

 

1990年代にアメリカ主導のグローバリゼーションによって憂き目をみたロシアは、2000年代に入るとプーチン政権が国家による市場への介入を強めることで活気立ち、それと並行して権威主義的な政治へと急速に傾いていった。これは、市場への政治の介入を嫌い、「小さな政府」を標榜する新自由主義に対抗する姿勢にほかならない。しかも、それがグローバリゼーションの経済ネットワークの内部での動きであることが、さきにみたような厄介な状況を形成したのである。

 

とはいえ、西側諸国においても、2000年代に入ると、リーマン・ショックを契機として新自由主義の市場原理主義に対する不信がひろがりをみせ、政府による市場への介入が行われるようになる。また、これと相前後してポピュリズムと権威主義が競り合うようにして台頭してくるのだが、そうした動きのさなかで到来したのが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックだった。市場原理では抑えようのないパンデミックは、「小さな政府」を標榜する新自由主義の脆弱性を決定的なかたちで暴き出し、「大きな政府」が――あるいは政治の介入が――翹望されることとなった。地球温暖化対策という国際問題も、その動きを加速した。

 

こうして急場しのぎに政治の発動が要請されることになったわけだが、「小さな政府」に甘んじてきた政治が、あたふたと試行錯誤を繰り返しているあいだに、状況の虚を衝くようにして、このたびの戦争が始まったのだった。

 

ただし、事柄は自由資本主義か国家資本主義か自由民主制か権威主義体制かといった体制的次元にとどまるものではない。また、単純な善悪二項対立で済む事柄でもない。

 

 

グローバリズムとロシアの関係は、ヨーロッパをモデルとする近代化とスラブ的なものの確執を抱え込んできたロシア近代の繰り返しのようでもある。ナポレオンのフランスと、ナチスドイツに侵攻された記憶はNATOへの警戒心とまちがいなく連動している。ウラジーミル・プーチンの発想に「大ロシア主義」あるいは「汎スラブ主義」への思いが見え隠れしている理由も、おそらくここにある。プーチンは西側の新自由主義に取って代る普遍的価値を宣布しようとしているのかもしれないのだ。とはいえ、それが「大ロシア主義」という大国主義的パターナリズム(父権主義)に結びつくとき――たとい歴史的経緯に配慮しても――粗暴な独善の誹りはまぬかれない。

 

そればかりではない。そうしたプーチンの言動をロシア正教会がバックアップしている。これは、ロシアにおける皇帝が、実質上、正教会の長であったことを彷彿させずにおかず、このことがウクライナ戦争を深い陰影で包み込んでいる。このたびの戦争をめぐる問題は、どうやら中世にまで、その根を届かせているようなのだ。

 

ロシアと西側諸国のあいだに引かれたスラッシュは、おもいのほか深い亀裂を成しているらしい。しかも、宗教と国家の結びつきは、ひとりロシアにみられるばかりではない。信仰の内面性を脱して宗教と国家が結びあう現象は、政教分離という啓蒙主義の政治スタンスの根本的な見直しを世界各地で迫っている。

 

 

SNSやマスコミが伝える数々の戦争犯罪は、加害者のみならず、それを非難する者たちの道徳意識を批判的に捉え返す契機ともなる。人間の諸権利を踏みにじる陰惨な戦闘の情報は、これまで当然のことと思いこんできた諸権利の場に、暗くて深い穴が、ぽっかりと口を開いていることに気づかせずにはおかないからだ。

 

この穴は、新自由主義が跋扈したグローバリゼーションの年月に打ち捨てられて顧みられなかった啓蒙主義の置き土産の墓穴にほかならない。それはまた、核ミサイルをたばさむ近代にとっての他者を育んだ闇の領域でもある。

 

この暗くて深い穴を覗き込んでみること。今日の危機にさいして、わたしたちを見舞いつつある出来事を了解するためにまず為すべきことは、これを措いてほかにない。

 

闇を覗き込むとは、探照灯によって闇を掘削することであり、そのあげく思いもよらぬおぞましい光景を目の当たりにすることになるだろう。それはまた、暗い穴の縁であやうくバランスをとっている自分自身の体勢に揺さぶりをかけることでもあるにちがいない。だが、この危うさを受け容れることなく、現在の状況を了解することができるとは思われない。

 

穴の底にうずくまる闇に眼を凝らすことによってはじめて、目の前に立ちふさがる近代の他者を揺り動かす言動に近づきうるのではないかと思う。体制として実体化された思想に混乱を引き起こし、その混乱のなかから未曾有の何かを掴み出す作業こそ思考の名にあたいするということを肝に銘ずるべきだろう。それは独善の愚昧から脱却する道でもあるはずだ。

 

 

蒙昧主義は警戒すべきだし、喧嘩両成敗などと間抜けたことをいうつもりもない。

 

ロシアのウクライナ侵攻は、国際関係における武力行使を禁じる国際法に違反しており、その意味で不当といえる。ウクライナの軍事行動は個別的自衛権の行使であって、国際法に照らして正当性をもつ。しかし、「国際法」に則って事柄を批判するのとは別に、紛争解決に武力行使を禁ずる「法の精神」を成り立たせたさまざまな力のせめぎ合う場へ向けて、すなわち、深い穴の底へと降ってゆくようにして、予断なく思考を推し進めてゆく作業が必要なのだ。この作業は人間という存在が抱える闇の領域へと踏み込むことにほかなるまい。

 

漱石は、人間の不条理性を「底なき三角形」(「人生」1896)に譬えたが、「意識」と呼ばれる三角形の尖端から、潜在意識あるいは無意識へと開かれた不在の底辺へと下降してゆく思考に、戦争を押しとどめる即効性があるとは、とうてい思われない。しかし、いまこのときにあって、戦争が指し示す近代の奈落へと思考を差し向けることは、戦争ののちの世界へと思いを馳せることでありうるはずだ。ヨーロッパ近代の啓蒙主義が掲げた普遍性それ自体をあらためて普遍化する道筋として――近代が掲げた「普遍」概念を、文化的多様性を含み込むかたちで踏み込んで普遍化する道筋として――奈落くだりは避けてとおることのできない試練なのだ。それが啓蒙主義なるものをアップデイトする手立てでもあることはいうまでもない。

 

2022年4月28日

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摘読録ーーMy favorite words 第38回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭 

  

なぜならば、病気というものは、あらゆる経験が明らかにしているように、形容詞なのであって、名詞ではないからである。

――フロレンス・ナイティンゲール/薄井担子、小玉香津子ほか訳『改訂新版 看護覚え書』(1860)

  

ナイティンゲールは、病気は自然の力による「回復過程a reparative process」であると考えていた。症状の悪化にともなう苦痛や鬱情を思うとき、病気を「回復過程」とする見方は奇妙に感じられるが、彼女は自説への反論を予想しつつ次のように書いている。自然の回復過程を阻害することから生ずる苦しみや痛みを取り除いたとき、病気ほんらいの痛みや苦しみが明瞭になるだろう、と。

  

自然の回復過程がまっとうに進行するうえで必要なものとは何か。看護に携わる立場から「患者が呼吸する空気を、患者を寒がらせないで、外気と同じように清潔に保つこと」だと彼女はいう。そして、酸性雨の発見者として知られるアンガス・スミスの大気汚染検査法を看護に応用する可能性にまで説き及んでいる。現在、わたしたちが手にすることのできるコンパクトなCO2濃度測定器は、その一実現形態だ。

  

そればかりか、彼女は換気こそ感染に対する「唯一の防御策」だとも述べている。もちろん、接触感染は換気によって防ぐわけにはいかないのだが、この期に及んで感染症の専門家たちが、新型コロナウイルスのエアロゾル感染に対する注意を喚起し、対策を政府に提言している日本社会の現状を思うとき、彼女の指摘は、にわかに新鮮なリアリティを帯びてくる。

  

  

病気が回復過程であるとする根拠についてナイティンゲールは理路や根拠を示していない。無記の姿勢をとっている。だが、人間の身体にそなわる自然治癒力を思い浮かべれば、この見方は直観的に納得がゆく。

  

しかし、それ以上に重要なのは、病者を孤立させない発想が、ここに認められることだ。病気が回復過程であるならば、病と健康を連続の相で捉えるのは当然であり、じっさい換気にしても、病者にのみかかわる注意事項ではない。健康な人間の日常においても重視されて然るべき事柄だ。しかし、この当たり前のことにかんして、自分たちが意外と無神経であったことをCOVID-19 の経験は教えてくれた。

  

子どもや老人たちのように特段の配慮を必要とする人びとの日常にかんしては、ことさら換気と室温への配慮が重要であるのはいうまでもないが、これを実行するためには、なによりもまず見守るという行動が必要となる。冒頭のことばは、このような構えから発せられている。見守るべきは、「痛い」「苦しい」「辛い」「寒い」「暑い」などの「形容詞」を喚起する兆候だからである。

  

  

では、「名詞 noun substantives」とは、いったい何を指すのだろうか。まずは病名と理解するべきだろうが、彼女は病名の背後に実体的な病因を想定する発想を否定している。「なぜならば」の前のところに彼女は「いろいろな病気が発生し、成熟し、そしてそれが他の病気に変化していく」のを目にして来たとしるしており、病気というのは猫や犬のような実体ではないというのだ。

  

病原体という存在が知識として念頭にある者からすれば、原因としての実体を否定する発想には違和感を覚えざるをえない。しかし、『看護覚え書』が 出版された時代は(初版1859)、微生物を病原とみなす細菌学の黎明期にあたっていたことを思えば、ナイティンゲールの病理観は、やむをえない歴史的限界として理解できるし、『看護覚え書』の数年後に刊行された『病院覚え書』(1863)では病原菌の存在を認めてもいる。

  

揺れがみとめられるわけだが、この揺れは“care”と“cure”のあいだの揺れのようにみえる。“care”は「世話」「配慮」「保護」「介護」「看護」などに対応する語であり、外来語「ケア」として日本社会に定着している。“cure”は「治療」「医療」「矯正」「治癒」「回復」などの語に対応し、外来語の表記は「キュア」である。

  

ナイティンゲールの知見は、「ケア」と「キュア」のあいだで、ただし、思いを大きく「ケア」へと傾けながら揺れているのだ。

  

  

病気というものは、病者自身の受苦の意識も含み込む複雑な関係態であって、それを単一の実体に帰するのはむつかしい。このような病気の有りようを、「ケア」と「キュア」という概念で捉え返すならば、キュアに従事する者は、病原体はもちろん器質的変化の有りようなど「名詞」的実体性の方により強い関心を抱くだろうし、ケアの実践においては、先にもみたように、なによりもまず容態を示す「形容詞」的次元に注意を向けることになる。ナイティンゲールは、この両者に目を配りつつ思考を重ねていたがゆえに揺れが生じたのである。

  

ただし、揺れとはいいながら、“care”と“cure”という二つの語の『看護覚え書』における出現度は“care”の用例が圧倒的に多く、ここにも彼女の関心の焦点がケアにこそあったことが示されているのだが、彼女が健康人と病者をひとつづきの過程として見ていたのは、まさにケアへの関心ゆえのことであった。彼女は、こう書いている。

  

患者にどのような結果が生じるかについて正確な判断を下す能力があるかどうかは、その患者が生きているすべての状態についての探究のいかんにかかっているのである。

  

「その患者が生きているすべての状態」に対する見守り。これがケアの要諦であることはいうまでもないとして、このくだりの直後で、彼女は大都市の複雑きわまりない社会状況に言及している。ナイティンゲールに即して考えるならば、ケアとは、このような社会的広がりのなかで捉えられるべきものであり、しかも、それは時間的な広がりでもある。すなわち、ケアはキュアのはるか以前から、また、キュアののちまでも続いてゆく一連の社会的な過程なのだ。たとえば社会的に弱い立場に立たされがち老人や子どもたちは、つねひごろから特段のケアを必要とするわけだし、また、不治の診断をくだされた病者のようにキュアののちにもケアは続いてゆくのである。

  

このような見方に立つならばキュアというのは、ケアの一過程ということになるわけで、こうした認識は、医療現場における「対等-従属 equal-subordinate」弁証法の問題――すなわち組織上は対等であるにもかかわらず現場において看護師が医師の下位におかれがちな現状に対する批判的視座をも提供するのにちがいない。それはまた、訪問介護が医療の重要な一次元を成すに至った超高齢社会の現状にとっても重要な問題提起となるはずだ。

  

  

この本で「看護」と訳されている元の単語は“nursing”である。“care”が“nursing ”と重なる意味合いで用いられている箇所もみられはするものの、基本的に“nursing”が「看護」に対応している。

  

しかし、ナイティンゲールは“nursing”という語に必ずしも満足してはいなかった。「私はほかによい言葉がないので看護という言葉を使う」と、はっきり書いている。薬の投与や湿布を貼る程度の意味で用いられていた“nursing”という語に違和を覚えた彼女は、その再定義を本書で企てたのだ。

  

「看護」を「ケア」と呼びかえ、高齢社会において注目度の高い“care ”という単語に繋げたのは、だから、本書の企てへの加担でこそあれ、けっして、それを歪曲することではない。あるいは、踏み込んでいえば、このようにいうことも可能だろう。“care”こそ“nursing ”の本体なのだ、と。

  

  

 

 

2022年3月9日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第37回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ

――よみ人しらず『古今和歌集』(10世紀初頭)

 

ピーター・J・マクミランが、『朝日新聞』に連載中の「星の林に」で、この歌を次のように英訳していた(2022年1月16日朝刊)。うつくしく、また正確な訳だと思う。

 

At the break of day

I watch in deep thought

a boat hidden by an island

at Akashi no Ura

in the morning mists.

 

ことに目を引くのは“I watch in deep thought”という詩句だ。これは、もとの歌の5句「~しぞ思ふ」にあたるわけだが、『万葉集』に多くみられるこの言い回しは、たいていの場合、遠く離れているひとをしみじみと思う意味で用いられている。こうした用例を踏まえつつ、片桐洋一は『古今和歌集全評釈』で次のように述べている。

 

「しみじみと思う」対象は、単なる舟ではなく、まさに「嶋に隠れ行く舟」であり、作者の目は、「朝霧」の中に姿を消してゆく「嶋隠れ行く舟」を包む景を情趣的にとらえている

 

舟を追う視線は、その姿を明視することはかなわない。霧のまといつく視線は焦点を定めがたい。「情趣的」とはそのような視覚的イメージを言い当ている。霧の奥へと漕ぎ進みつつ、舟がやがて島陰に隠れてゆく、その一部始終を見ていたとしても、視覚は常におぼつかなく、しかも、この経験が歌としてかたちを成すときには舟の姿はすでに網膜上には存在しない。記憶に由来するイメージとして思い浮かべるほかない。“in deep thought”という言い回しは、こうした消息を伝えてもいるように思われる。これは、片桐が「包む景」という印象的な言い回しをしたゆえんでもあるにちがいない。

 

このように考えてくると、霧の奥へとフェイドアウトしてゆく舟は「見ること」から「想い描くこと」へと視線を導く仕掛けであり、見方を変えれば外界から内界へのスウィッチのように思われてくる。その境にことばの舟はたゆたっている。明石の浦が畿内と畿外を分かつ境界を成していたことを、ここに重ねてみてもよいだろう。

 

つまり、「島隠れゆく舟をしぞ思ふ」という句は、ふたつの世界を連接しているわけだが、この連接を可能にしているのは朝霧にほかならない。霧は、これらふたつの世界を成立たせつつ、それらを包み込んでいる。霧はふたつの世界を分け隔てつつ、ふたつの世界にわたってただよっている。

 

だから、想い描かれる舟の姿もまた、眼に映る姿と同じく曖昧に輪郭をぼかされている。遠ざかる舟の水脈[みお]は「見ること」から内的な「想い描くこと」へと折り返してゆく行路と重なるのだが、そこに立ち現われてくる想像の舟も霧のなかへ消え去ろうとしている。消え去ろうとして消え去ることなく、あたかも「ゼノンの矢」のように、いつまでもそこにとどまり続けている。

 

「島隠れゆく舟」が、霧の奥へと視線を誘い込んだあとには薄あかるい霧の光景だけが残される。そのとき、視界をうっすらと覆う水蒸気は、視線と共に身をも包み込まずにはいない。視線を吸い込む霧は、視線を伝って身に迫る。こうして、ひんやりとした“the morning mists”に身を包まれる感覚がもたらされる。

 

一首の眼目は去りゆく舟である。遠ざかりながら、決して消え入ることのない舟のヴィジョンこそ一首の鑑賞の尽きるところである。しかし、そうだとしても、一首をめぐる思いは鑑賞を越えて、さらに遠くへといざなわれずにはいない。舟も島影も霧の奥に消え去り、すべての形象が消滅するところへと思いは惹きつけられてゆく。そして、一首の眼目は、舟も島も、そして、それらを眺める身をも包み込む朝霧へと徐々に転じてゆく。

 

動きつつとどまりつづける舟の残影をうっすらと宿すほのかな朝霧、その立ち籠める水蒸気にまつわる「物質的想像力」(ガストン・バシュラール)が、消え去ろうとする形象の彼方で、わたしたちを待ち構えているのである。

 

2022年2月18日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第36回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

はじまりの朝の 静かな窓

ゼロになるからだ 充たされてゆけ

 

―― 覚 和歌子「いつも何度でも」(詩集『ゼロになるからだ』所収)より

 

たとえば千の位に0が記されている場合、その位がからっぽであることを意味している。ただし、それは無ということではない。位取りにおける場所を有しているからだ。

 

「無」は「有」の対義語だが、「空」は有と無を絶したところにあらわれる。位取りされることにおいて無ではなく、内実が空っぽである点において有でもない。0は無でもなく有でもない。あるいは無でありながら有でもある。それは有と無の二項対立を超えている。

 

0は死の隠喩でもある。「ゼロになるからだ」というフレーズは死を思わせずにおかない。

 

ただし、「ゼロになる」というのは、たんにこの世から消え去ることを意味するのではない。「ゼロになるからだ」の輪郭や位置は、かつて自己が居た現世に属し、存続している。はじめは死骸として、やがて俤として。

 

「ゼロになるからだ」に「いつか」、「ついには」などの語を補って読むことも可能だが、「はじまりの朝」はすでに訪れつつあり、しかも、このフレーズでは一日の「はじまり」である朝が、別次元の「はじまり」に位置づけなおされている。「はじまりの朝」とは特別な朝であり、決定的かつ終局的な転換を思わせずにおかない。ここにいう「はじまり」とは、つまり死のことであり、「はじまりの朝の 静かな窓」に映し出されるのは、自己が消え去ったのちの、あるいは消えゆく自己の光景なのである。「はじまり」はつねに「おわり」であり、死という名の「おわり」こそほんとうの「はじまり」、すなわち「おわり」なき「はじまり」なのだ。

 

「充たされて」ゆくというのは、だから、現世的には空位となった自己の場所に、自己ならざる何かが流入してくるということ、踏み込んで言えば宇宙のエレメントが――それはかつて自己を成り立たせていたものでもあるのだが――流入してくることを指す。そこが空位となったのは、いうまでもなく自己なるものが解体し、流出していったからであり、そこに生じた真空は世界のエレメントを引き寄せ、そこに流入させずにはおかない。そういえば、からっぽの「から」は「からだ」の「から」と語源を同じくしている。

 

「ゼロになるからだ 充たされてゆけ」とはoutとintoのダイナミズムであるわけだが、思えば、これは生きてあるあいだにも見出されるところであった。呼吸のメカニズムに想到するならば、このことは即座に了解できるだろう。この詩句は「生死一如」の境位を指し示している。

 

 さよならのときの 静かな胸

 ゼロになるからだが 耳をすませる

 

 生きている不思議 死んでいく不思議

 花も風も街も みんなおなじ

 

この詩はアニメ『千と千尋の神隠し』の主題歌として親しまれており、木村弓の曲に乗ってカラオケでも愛唱されているようだ。

 

先日、二年ぶりに同世代の友人二人とカラオケに行って、心ゆく時間を過ごした。この歌が選曲されることはなかったが、静かでほのかにあかるい友人の歌声を聴きながら俗謡の力というものを改めて感じた。

 

ぼくらの胸の奥深くに張られている琴線に触れるものが俗謡にはある。というか、俗謡によって初めて響きを発する心の琴線というものがあって、ある瞬間、覆される宝石ように弦の音がきらめく。そのきらめきは、時に、虚飾を去った真実の輝きのように思われもする。この真実は俗世に生きる愉楽であり、また、寂寥でもあるだろう。もういちど、「いつも何度でも」から引いておこう。

 

 かなしみの数を 言い尽くすより

 同じくちびるで そっとうたおう

 

 

2022年1月11日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第35回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

青山元不動

白雲自去来

――『禅林句集』

 

数日前の午前のこと、散歩をしている道すがら、とある邸宅の広やかな前庭に、円柱が二本ならんでいるのが目にとまった。ひとの背丈を越える大きさだ。いくどか通ったことのある場所なのだが、それまで気づかなかったのは庭の奥処に立てられているせいだろう。白く輝くそのすがたが目をとらえたのは、初夏とは思われない強い日差しのせいだったのにちがいない。

 

目を凝らすと、円柱には、草体で漢字が刻まれていた。右の柱には「青山元不動」、左に「白雲自去来」とある。禅宗の教義にまつわるアンソロジー『禅林句集』に収められていることばだ。この邸の主は禅学に造詣のある人物らしい。

 

帰宅後、架蔵の岩波文庫版(足立大進編)で確認すると、出典は北宋の『景徳伝灯録[けいとくでんとうろく]』とあるので、さっそく国立国会図書館デジタルコレクションで当ってみたところ、語句にわずかな違いのあることが分かった。原典では「青山元不動 浮雲飛去来」なっているのだ。「青山もとより動せず、白雲自[おの]ずから去来す」と「青山もとより動せず、浮雲飛びて去来す」のあいだに、たいした違いはないようにみえるかもしれないけれど、ぜんぜんイメージが異なる。だんぜん「白雲」の方が鮮やかだし、「自ずから」というところに奥深い自発性が感じられるところもいい。雲の白と、緑なす青山の対比も効いている。

 

『景徳伝灯録』では、この対句が生まれた状況が示されている。唐代の禅僧霊雲志勤[れいうん・しごん]にまつわる話だ。ある僧侶が「如何でか生老病死を出離することを得ん(どのようにしたら生老病死の苦しみから抜け出すことができるでしょうか)」と問うたところ、志勤は、この句を以て応じたというのである。桃の花がさきほこるようすを見て悟りを開いたとされる志勤に如何にもふさわしい逸話だが、問答に即して考えれば、対句は、こんなふうに解釈することができる。「生老病死」すなわち仏教でいう「四苦」は、しょせん逃れえぬものであるとして、しかし、それによって自己の本体が変わるわけではないのだ、と。『般若心経』の文句を借りれば「老も死もなく、また、老と死の尽くることもない」と言い換えることもできるだろう。

 

だが、この対句は、こうした解釈を遥かに越える魅力をたたえている。大空を去来する白雲の輝きと、それらが影を落とす青々とした夏山の光景が文字を介して脳裡いっぱいにひろがる。地学的な時の流れにおいて山もまた白雲のように去来する存在であり、去り行く白雲と流れ来る白雲とは「白雲」であることにおいて何ら変わりはない。山に対して雲が動き、雲にとっては山が動くという相対的な運動のイメージを思い浮かべてもいい。ようするに、この句において無常と常在はひとつであって、ふたつの事柄ではない。そのことが鮮明な夏の光景において無言のうちに示されている。

 

ちなみに、この語は禅宗の最古の宗門史である『祖堂集』までさかのぼる。そこに「白雲は白雲の好きにまかせ、青山は青山の好きにまかす」ということばが見いだされるのである。白雲も青山も、それぞれに自在であれと説いているわけだ。Let it be.といってもいい。

 

しかし、それにしても、いかなる思いから、円柱状の碑が庭に立てられたのだろう。その奥には傾斜地に沿う細道がつづいているようにみえたが、ひとを仏心へといざなう企てでもあるのだろうか。それゆえ通りから望むことのできる位置に敢えて立てられもしたのだろうか。もしかするとセメント製だったかもしれないあれらの柱は、強い光のもとで白い石のように輝いていた。十の文字を身に帯びて光のなかに静かに佇んでいたあの日の円柱の姿は、忘れがたい初夏のかたみとなった。

 

 

2021年5月19日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第34回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

年年歳歳花相似

歳歳年年人不同

――劉希夷「代悲白頭翁」

  

劉希夷[りゅう・きい]は7世紀中国の詩人。容姿は端麗、音楽と酒とを愛する自由人で、時流に流されず、毀誉褒貶にこだわらない人柄だった。科挙最難関の進士[しんし]の試験に合格したが官職に就かず、遊歴しつつ詩を詠んで気ままに暮らしたと伝えられている。こうした人柄は、『老子』に由来する「希夷」という字[あざな]に示されている。俗見[ドクサ]に逆らう深遠な道理を示すこの名を詩人は自らの呼び名として選んだのだ。

   

28歳で没しているから、ここに引いた代表作の「白頭を悲しむ翁に代わりて」は、題名にあるとおり、老齢の身に成り代わって、その悲しみを詠んだ作と知られる。すなわち、作中の「言を寄す全盛の紅顔の子/応[まさ]に憐むべし半死の白頭翁を」という詩句は、そして、「年年歳歳花相似たり/歳歳年年人同じからず」という上掲の聯を挟んで対置される「今年花落ちて顔色改まる/明年花開いて復[また]誰か在る」も、これらはすべて若くうつくしい自分自身――「紅顔の子」である自己――へと差し向けられた言葉なのだ。

  

多感な青年に寄り添う老翁の影は、死によって画され形づくられる生の根源的な有りようを示している。それはまた、夭折の詩人に相応しい生の不安でもあるだろう。

   

30年に満たぬ生涯に35首の詩を残し、そのうち「白頭を悲しむ翁に代わりて」を含む2首が、千年後に編まれた詞華集『唐詩選』に採られた。一説によると劉希夷は、この白頭翁の詩をめぐる諍[いさか]いがもとで殺害されたという。

   

  

2021年3月10日改稿

2021年3月2日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第33回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

活動しゃしんで運動を見る方法がつまり学問の方法だろう。無限の連続を有限のコマにかたづけてしまう。しかし、絵かきはもっと他の方法で運動をあらわしている。

――朝永振一郎「滞独日記(一九三八年四月七日-一九四〇年九月八日)」より

  

「活動しゃしん」すなわち映画は運動する被写体を1秒24コマに収めることで、運動にまつわる自然な視覚像を再現する。いってみれば運動に似た状態を知覚にもたらすわけだ。DVDの場合は、コマ数がもっと多いが持続する運動を間断なく捉えうるわけではない。いってみれば近似解であって、正解ではない。とはいえ、しぜんな知覚を得ることが目的ならば、それで充分といえる。だが、充分であるとして、それは決して正解ではない。ここに引いた朝永振一郎の日記の一節はそんな循環のなかに思考が入り込む瞬間を思わせる。学問[サイエンス]におけるクリエイティヴなゆらぎ[、、、]といってもいい。

  

画家が運動をあらわす「他の方法」とは、いったい、どのようなものだろうか。アルベルティは、透視図法の説明において視覚のピラミッドを想定しつつ、その頂点は両眼の奥にあると述べているが、この頂点は両眼視差をやりくりする脳内情報処理によって見いだされる。透視図法は無限の均質空間を前提とする点において学問[サイエンス]に近いものの、両眼視差のやりくりは個別的な過程であり、その個別性に画面のリアリティが胚胎される。

  

しかも、視差のやりくりには身体の次元もかかわってくる。両眼は身体に埋め込まれているのだから当然のはなしだが、事柄の焦点は、身体が絶え間なく運動しているという事実だ。透視図法は、この事実を切り捨てることで初めてなりたつのであり、それゆえ、じっさいの視覚を正解とすれば、その近似解でしかありえない。生きている身体は絶えざる運動のなかにある。

  

ターナーが《吹雪――港の沖合の蒸気船》(1842)を描くにあたって、嵐の海に乗り出した船の帆柱に身体を縛り付けて4時間を過ごしたという逸話は、まさに、相関する身体と眼の事情を伝えている。身体の動きを、そして海や大気の動きを、ふたつながら宿すヴィジョンを、ターナーは得ようとしたのである。王立美術院展に出品されたときのこの絵の正式なタイトルには「作者は、エーリエル号がハリッジを出港した夜のこの嵐のなかにいた The Author was in this Storm on the Night the “Ariel” left Harwich」としるされていた。

  

  

しかし、もちろん、揺れ動くヴィジョンを静止した画面にそのままもたらすことなどできはしない。では、どうすればよいのか。たとえば、ジョワシャン・ガスケがしるしとめた次のようなセザンヌのことばは、このアポリアを乗り越えるヒントを与えてくれる。山梨俊夫の訳から引く。 

  

感覚は、充実しているとき、存在全体と一致する。世界のめまぐるしい運動は、頭脳の奥で、眼、耳、口、鼻が、それぞれ固有の情熱をもって感じ取る同じ運動のうちに溶けていく・・・・・。

  

このことばは、ターナーが吹雪の絵のタイトルで、みずからを画家ではなくThe Authorと称していることに思いを差し向けずにはいない。彼はヴィジョンを提示しつつ、五官が伝える海と身体の「めまぐるしい運動」を「頭脳の奥」を経て記述しようとしたのだ。古代の歴史叙述が重視したヴィヴィッドな実体験の叙述、すなわち「エクフラシスekphrasis」の精神である。

  

  

科学と芸術の浅からぬ因縁に思いを誘う朝永振一郎のことばを教えてくれたのは、高野文子の『ドミトリーともきんす』という本だった。若い科学者たちの宿舎[ドミトリー]を舞台とする科学読み物である。住人は牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹、そして朝永振一郎。みごとにキャラクター化された若き日の四人の日常がコマ割り漫画スタイルで描かれ、そこに、それぞれの著作から引いたことばと短い解説が添えられている。

  

高野は、たとえば『黄色い本――ジャック・チボーという名の友人』にみられるような抒情的な線を抑えて、ここでは科学の解説書のイラストを思わせる硬質な描画を試みている。高野は「あとがき」にこう書いている。「わたしが漫画を描くときには、/まず、自分の気持ちが一番にありました。/今回は、それを見えないところに仕舞いました」、と。

  

「いずれにしても、詩と科学とは同じ場所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか」(「詩と科学――子どもたちのために」)という一行を含む湯川秀樹のことばで締めくくられている本書は、クールな詩情によって自然科学のかわらぬ清新な魅力にあらためて気づかせてくれる。地味ながら心に残る素敵な本だ。

  

  

2020年11月6日
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