先生の本棚から

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第32回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

幅のひろい水によって大陸から隔てられ、尊大な気分によって僚友たちから隔てられたまま、彼は、極度に分離した、連絡のない姿となって、髪をひらめかせながら、ずっと向こうの海のなかを、風のなかを、霧のごとく無際限なものの前をそぞろ歩いていた。

 ――トーマス・マン/実吉倢郎訳『ヴェニスに死す』

  

すでに富と栄誉を手にした初老の作家グスタアフ・アッシェンバッハを旅へと駆り立てたのは「内心の空洞と生物学的な衰微」であった。「内心の空洞と生物学的な衰微」というのはアッシェンバッハが描き出す人間像にかんする評言だが、思うに、これはアッシェンバッハ自身にも当てはまる。年齢をかさねるにつれ、この作家の作風は奔放性や新味のある陰翳を欠くようになり、硬質な定型性を帯びるようにさえなっていたからだ。「生物学的な衰微」を克服し「内心の空洞」を生気で満たすために、とりあえず遠国の空気につつまれて怠惰な「即興的生活」を送ることが――優雅な無為が――必要だと彼は考えたのである。この心的「空洞」と生物的「衰微」が出現させるモアレの変幻として、あるいは、心身における凋落と賦活のアイロニカルな矛盾として、この小説は展開してゆく。

  

心身を恢復させる「即興的生活」を求めて訪れたヴェニスで、作家は小説のタイトルにあるように「生物学的な衰微」の極に立ち至ることになるのだが、衰微の兆は早くも小説の冒頭に見いだされる。真新しい十字架や墓碑の並ぶ石工場の柵に沿って、アッシェンバッハが五月のミュンヘンを散歩しているところから、この小説は始まるのだ。そればかりではない。彼の旅心を誘ったのは、散歩の途中、夕日に照らされる斎場で目にした不思議な異国風の男の姿だった。

  

旅の行き先をヴェニスに選んだことにも衰微の徴候が見いだされる。かつて同じ季節に訪れたヴェニスで彼は健康を害したことがあるのだ。潟[ラグーナ]の腐臭を運ぶ湿った熱風[シロッコ]に体調を崩したのである。それにもかかわらず、アッシェンバッハがヴェニスを滞在先に選んだことには、この初老の小説家の無意識の傾斜が示されている。彼は執筆のために肉体的な基盤を整えようと意図しながら、それと矛盾する行動をとっている。すなわち、生の充実を求めつつ、彼は「死の欲動[タナトス]」に駆り立てられていた。あるいは、逃避的に「死の欲動[タナトス]」に心身をゆだねようとしていた。

  

船路[ふなじ]でヴェニスに着いた作家は、ゴンドラと小型蒸気船[ヴァポレット]を乗り継いでリド島のホテルに向かうつもりであったが、差し出がましい船頭[ゴンドリエーレ]によって、ゴンドラに身を託したまま目的地まで運ばれてゆくことになる。「ほかのあらゆるものの中で棺だけが似ているほど、一種異様に黒い、このふしぎな乗物」に揺られて作家は死地へと導かれてゆくのだ。ゴンドラが棺であるならば、船頭[ゴンドリエーレ]は、さしずめ冥府の渡し守カロンというところだろう。

  

  

ホテルに落ち着いたアッシェンバッハは、やがてホテルの泊り客のなかに端正な顔立ちの少年を見いだし、たちまち心を奪われる。ロビーで、食堂で、エレヴェイターのなかで、ホテルの宿泊客専用の渚で、彼は少年を見る。その姿を追い求める。作家は、タッジオという名のそのポーランド人少年を古代ギリシャ彫刻になぞらえ、あるいは、生きている古代ギリシャ彫刻と見なして嘆賞する。彼は、純粋に完成された形式が比類のない個性のなかに実現されている姿を、そこに見いだしていたのである。

  

普遍的な形式が個別的な存在として実現するというのは一種の矛盾であり、この矛盾は優れた芸術作品というものの特質といえるのだが、しかし、それはやがて危険な裂け目となってアッシェンバッハを呑み込むことになる。そのように小説は展開してゆく。心を介して生を整え、秩序を与えるはずの形式が、形式それ自体の放つ魅力によって心を捕えることになるのだ。

  

こうして、アッシェンバッハはみずからの外部に、魅惑の源泉として形式を見いだすことになる。それによって生は、みずからを内在的に秩序づける形式から解き放たれることになる。いいかえれば、形式とのあいだに隙間が生じる。このことは作家が、ディオニソスの狂宴の夢を見る場面にはっきりと示されている。ディオニソス的なアモルフな生への渇望に彼を駆り立てたのは、もちろん少年の存在だった。ホテルの宵のテラスでタッジオが彼に微笑みかけたとき、老作家は動揺し、急いでその場をはなれ、おののくようにしてつぶやきを洩らす。Ich liebe dich!、と。

  

陳腐ともいえるこの愛の決まり文句は、空洞を抱え込んだ内心を共鳴胴[サウンド・ボックス]として、作家の満身に響き渡る。この響きの谺のようにタッジオの面影が「内心の空洞」を一挙に充たし、溢れ、内心の形式を見失った初老の作家を呑み込んでゆく。みずからの思いが、品位も威厳もない常套句を介して認識にもたらされたとき、彼は、その認識を梃子として影像へと身をまかせることになる。形式Formと生Lebenの裂け目から出現した面影Bildに呑み込まれてゆく。

  

  

ゲオルク・ジンメルは1916年のエッセイ「文化諸形式の変遷」のなかで、「創造的生はたえず、(中略)固有の存在権をもって生に拮抗するものを生み出す」と指摘し、「生に拮抗するもの」を「形式」の語で言い止めている。その形式は、生のダイナミズムから産出されるのだが、そのダイナミズムゆえに生は形式を喰い破ろうとせずにはいない。こうした矛盾にジンメルは文化の本来的な悲劇性を認める。そして、同時代の芸術を未来派に代表させつつ、このようにいう。酒田健一の訳から引く。

  

生の発現がこの矛盾を避けるためにいわば形式を脱ぎ捨てたあらわな姿でおどり出ようとするとき、そこにあらわれるのはおよそ理解を絶したもの、わけのわからない叫喚であって、明確な発言ではない。そこには統一的な形式が当然はらんでいるあの矛盾や異質なものへの硬化がないかわりに、結局はただ、こなごなに粉砕された形式の破片のカオスがあるばかりである。

  

『ヴェニスに死す』が書かれたのは1913年、ジンメルのエッセイが書かれる3年前のことである。マリネッティの「未来主義創立宣言」の発表が1909年であり、運動体としての未来派はムッソリーニ政権発足後の1920年代半ばまで続くから、この小説は未来派の活動期に執筆されたということになる。つまり、『ヴェニスに死す』のトーマス・マンは、そして、グスタアフ・アッシェンバッハは、未来派が「こなごなに粉砕された形式の破片のカオス」へとなだれ込んでゆく時代のさなかを生きていたのである。日本に目を向ければ、生命主義的な表出を標榜するヒュウザン会(1912、1913年)が開催された頃のことだ。

  

しかしながら、アッシェンバッハは「わけのわからない叫喚」に陥ったわけではない。むしろ、タッジオの姿に触発されて古代ギリシャに心ひかれつつ古典的な形式性に従う文章を書こうと試みている。もとより「死の欲動[タナトス]」突き動かされている彼が、「生に拮抗するもの」を否定するわけがない。だが、彼は、形式の規律に生をゆだねているわけでもない。

  

彼の眼に映し出されるタッジオのうっとりするような姿は、アッシェンバッハが野放図な生と形式の規律との裂け目に活路を見いだしていることを示している。彼は、生の脱形式化がもたらす無秩序を、形式と生の裂け目から出現する影像によって回避しようとしている。作家を捕えている形式それ自体の魅惑とは、タッジオという個的な生においてあらわれた形式の魅惑であり、ここにおいて形式は、生にまつわる影像へと変成せずにはいない。形式的秩序でもなく、アモルフな生でもない影像の次元がそこに現出する。心身における凋落と賦活のアイロニカルな矛盾が、このようにして回避されるのだ。

  

美少年の面影に捕らわれた作家は、ついには、みずからをも面影と化そうとするに至る。ヴェニスへ向かう船で見かけた醜悪な若作りの老人さながらに、アッシェンバッハは理髪店で白髪を染め、化粧を施すことをみずからに許す。不毛な老らくの恋に身を焼かれる作家は、影像という粉飾によって「生物学的な衰微」からの逃避を計るのである。

  

  

そのころ、ヴェニスでは疫病がはびこりはじめていた。しかしながら、流行の事実と、その病名とは、社会経済を慮る当局によって滞在者たちに伏せられていたので――ちなみにいえば、当局による情報隠蔽の動機として「公園に開かれたばかりの絵画展覧会へのおもわく」が挙げられているが、これはヴェネツィア・ビエンナーレのことだろう――ホテルの宿泊客は呑気に日々を過ごしていた。しかし、アッシェンバッハは、理髪店で耳にした噂話と、そこかしこに漂う消毒液の匂に不穏なものを感じ取り、不安の念に駆られる。ドイツ語を耳にする機会が急に減ったことに気づいていた彼は、ドイツの新聞を丹念に読み、だいたいの状況をつかむ。そこには他国の新聞には見られない疫病関連情報が不確定ながら見いだされた。その後、彼はイギリスの旅行社で疫病にかんする詳細な情報を得ることになる。

  

蔓延しつつある疫病の名はコレラ、20世紀初頭のことゆえその致死率は8割、「けいれんとかすれた悲鳴のうちに、ちっそくしてしまう」悲惨なケースと、 「軽い不快ののちに、ふかい失神の形」で死に至るしあわせなケースとがあると小説には書かれている。疫病について、あらいざらい話し終えた旅行社の職員は、アッシェンバッハに今日にでもヴェニスを立つことを勧めた。

  

だが、作家は、さながらストーカーのごとくタッジオの家族たちをつけまわして、石炭酸の匂がたちこめるヴェニスの街をさまよいつづける。さまよいながら、青物商で買った熟れ過ぎた苺を口にする。砂時計の砂が竭きる刹那のように、時が終焉にむけて渦を巻き始めていた。

  

数日後の朝、いつものようにアッシェンバッハが渚に出ようとロビーを通りかかると、宿泊客の荷物が積み上げられている。門衛に聞いて、それがタッジオの家族のものであることを彼は知る。別離の情がもたらす動揺を抑え、何気ないようすを装って渚へと向かうアッシェンバッハは、その朝、体調がおもわしくなかった。心身にわたる眩暈、強い不安の念をともなう眩暈の発作に襲われつづけていたのだ。それは「外界に関したものか、それとも彼自身の存在に関したものか」わからない変調であった。外界と内面のいずれに帰することもできない異常な体感が裂け目となって、彼を呑み込もうとしていたのである。

  

アッシェンバッハは秋の気配の漂いはじめた渚のデッキチェアに身をゆだね、友だちと戯れるタッジオの様子を見守っていたが、少年たちのあいだにちょっとしたいざこざがあって、タッジオは、ひとり浅瀬を越えて砂州を歩いてゆく。冒頭に引用したのは、その情景である。このときタッジオは、海辺の光景のなかでほとんど影像そのものと化している。三脚に取り付けられたまま渚に置き去られ、黒い冠布[かぶり]を風にはためかせている撮影者なき写真機は、タッジオの変容を換喩的に示している。砂浜と砂州の境を成す水域を越え、水域に亀裂をはしらせる砂州に歩みを進めながらタッジオは急速に影像と化していった。

  

  

実吉捷郎[さねよし はやお]の訳によってここに引いたくだりは、もっと滑らかな表現を与えることもできる。最近の例から引けば、たとえば岸美光は次のように訳している。

  

広い水の帯によって固い地面から隔てられ、誇り高い気まぐれによって仲間たちからも 隔てられ、少年は歩みを進めていた。あらゆるものから切り離された、なにものとも結びつかないその姿は、髪をなびかせて、あの遠い海の中に、風の中に、霧のような無限の前にいた。

  

圓子修平は、このような訳を与えている。

  

幅の広い水の帯で陸地から隔てられ、誇り高い気紛[まぐ]れから仲間の者とは離れ離れになり、ひどくかけ離れた、取りつきようのない姿で、少年は髪を風になびかせながら離れた海のなかを霞む無限のなかを、ぶらぶらと歩いて行く。

  

これらの訳の方が実吉捷郎の訳よりだんぜん分かりやすく、現代的センスを宿している。だが、この場面は実吉訳がふさわしい。川村二郎が岩波文庫の解説でいうように「原文の形をそのまま訳文に写し取っている」ような、いささかぎくしゃくした文の組み立てが、たとえてみれば、ブロックノイズが発生し、切れ切れにフリーズするDVDの一場面のような語の配置が、アッシェンバッハの末期の眼に映るタッジオを彷彿させるからだ。最後に、いまいちど実吉捷郎から、そのくだりを、マンの原文と共に引いておくことにしよう。

  

幅のひろい水によって大陸から隔てられ、尊大な気分によって僚友たちから隔てられたまま、彼は、極度に分離した、連絡のない姿となって、髪をひらめかせながら、ずっと向こうの海のなかを、風のなかを、霧のごとく無際限なものの前をそぞろ歩いていた。

  

Vom Festlande geschieden durch breite Wasser, geschieden von den Genossen durch stolze Laune, wandelte er, eine höchst abgesonderte und verbindungslose Erscheinung, mit flatterndem Haar dort draußen im Meere, im Winde, vorm Nebelhaft-Grenzenlosen.

  

「無際限なもの」とは海であり、アッシェンバッハにとってそれは、単純で、巨大で、永遠で、完全なものにほかならなかった。そして、それは完全なものの一形態としての虚無でもあった。完全にして虚無。影像とはそのようなものとして、わたしたちを訪れるのだ。

  

遠くを指さすようなタッジオの姿に「望みに満ちた巨大なもののなかへ」と消え去ってゆくらしい兆候を見てとったアッシェンバッハは、少年のあとを追おうとしてデッキチェアから立ちかけたところで絶命する。その瞬間を見届けたのはタッジオだった。アッシェンバッハの眼差しにおいて影像と化しつつある少年は、何かに突き動かされるように振り返り、椅子の背に頭をもたれかからせている小説家へと視線を向けたのだ。このとき、グスタアフ・アッシェンバッハは、彼を眼差す[、、、]タッジオにおいて影像と化した。

  

そこには、もはや形式もなく生もない。生と死の境を越えて切れ切れにゆらめく影像が見て取られるばかりだ。生とそれを律する形式とのあいだに揺らめく影像、その遊動Spielのリズムに、老作家は消え入るように同期してゆく。息絶えた老作家の顔には、きっと愉楽の面持ちがみとめられたのにちがいない。それは生の不快から解き放たれた安堵の表情でもあったろう。

  

タッジオの眼差しが捉えた小説家の最期をトーマス・マンは、こうしるしている。

  

このときその頭は、いわばその視線を迎えるように挙げられた。と思うと、がっくりと胸の上へたれた。

  

 

2020年10月20日

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摘読録――My favorite words 第31回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いて居る。顔は下膨[しもぶくれ]の瓜実形[うりざねがた]で、豊かに落ち付きを見せてゐるに引き易[か]へて、額は狭苦しくも、こせ付いて、所謂富士額[ふじびたい]の俗臭を帯びて居る。のみならず眉は両方から逼[せま]つて、中間に数滴の薄荷[はつか]を点じたる如く、ぴくぴく焦慮[じれ]て居る。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しからう。

 

――夏目漱石「草枕」(1906)より

 

「草枕」のヒロイン那美の顔の描写である。描写しているのは、西洋画法を学んだ30代の旅の画家だ。画家は那美の父が所有する温泉地の屋敷に逗留している。ただし、画家といっても、この男は絵を描かない。彼はスケッチブックに俳句や漢詩をしばしば書き込むけれど、めったにスケッチはしない。これは、文芸と美術の別を厳しくいましめるモダニズムへの批判的スタンスの実践であるのだが、ここで那美の顔を言葉で描写してみせたのは、那美の顔が絵にならないということを示すためでもあった。

 

この一節に続けて「かやうに別れ別れの道具が皆一癖あつて、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだ」とある。統一感のない、いってみれば動的なコラージュのような面貌ということであり、画家は、それが内的な統一がないせいだと考える。「別れ別れの道具」のそれぞれを、背後の一点に引っ張るようにして、瓜実顔の輪郭のなかにきっちりとまとめ上げるものがないというのだ。つまり、絵にならない顔である。

 

では、顔に統一性を与える背後の一点とは、いったい何か。 

 

 

漱石は『文学論』で、文学を規定するのに「F+f」という式を掲げている。かんたんにいえば、文学のテキストには「認識的要素(F)」と「情緒的要素(f)」が、ともども備わっていなければならないということであり、これは絵画についても当てはまる。たとえば花を絵に描くとき、そこに何らかの情緒が寄り添うのは当然であるとして、図鑑のイラストとして描かれた花にとって、情緒は必須の条件ではない。「認識的要素(F)」が備わっていれば事足りる。

 

画家は、那美の顔つきに欠けているfを「憐れ」の情であると、やがて考えるに至るのだが、「憐れ」としてのfの欠落は実は画家自身が望むところでもあった。「非人情」であることを、芸術家としての――あるいは旅人としての――自己のスタンスと考えていたのである。「不人情」というのが情をかけるべき場面で情を発揮しない態度を指すのに対して「非人情」は、そもそも人情の外に立つことを意味する。そこに「憐れ」の情など望むべくもない。とすれば、那美の顔つきは、画家のそれでもありうる。人間の顔に統一性をもたらす内的な一点が「憐れ」の情であるのだとすれば、「非人情」の構えをとる画家自身の顔にも動的な不統一が認められるはずだからである。

 

画家が、宿泊地の床屋で、安物の鏡に映し出される自分の顔がさまざまに歪むのを目にする場面には、画家の顔の不統一性が示されている。画家は、右を向いたり、仰向いたり、前かがみになったり、左を向いたりして、みずから顔をさまざまに変形させるのだが、その歪みは鏡に由来している。

 

苟[いやしく]も此鏡に対する間は一人で色々な化物を兼勤しなくてはならぬ。

 

このようにして、鏡のなかの顔に動的な不統一性を画家は見いだす。目の当たりにした那美の顔に動的な不統一を見いだした画家の眼を、ここでは鏡が代替しているのだ。そして、そうだとすれば、那美の顔の不統一性は画家の眼に帰することもできるのにちがいない。引用した那美の描写と床屋の場面は対称を成しているのである。

 

 

不統一性ゆえに那美の顔は絵にならないと考える画家に対して、那美は「わたくしの画をかいて下さいな」という。「顔」を描いてほしいとはいわない。あくまでも「わたくし」と彼女はいう。だが、画家は、あくまでも顔にこだわる。顔を人間個々の表象と考えているからだ。眼前に突き出される顔は内的な統一点との関係において、その人間を代表する――そういう人間観が画家にはある。西洋派の画家としていたってまっとうな発想だが、那美の面貌はそれを裏切る有りようを呈しており、描く方も、内的統一と顔貌との均衡を成り立ち難くする「非人情」のスタンスを願っているとあっては、顔が描けるはずもない。 

 

結局、画家は絵筆を執って彼女の顔を描くことをせずに終わるのだが、小説の最後の場面で、那美の絵は「胸中の画面」として成就する。日露戦争の戦場に出征する那美の従弟と、満州へ渡る彼女の前夫を乗せた汽車を駅で見送る場面で、彼女に「憐れ」の情を画家が認めた刹那に内的イメージとして絵が成就するのである。画家は、汽車を見送る那美の肩を叩いて、「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」という。そのとき画家は彼女の顔を見てはいない。彼は「憐れ」の情を身体の発するオーラのようなものとして感じ取り、思わず彼女の肩に触れたのだ。画家が那美に触れるただ一度の場面である。

 

オーラとしての情緒。これは画家が密かに思い描く絵画の新たな可能性にかかわってもいた。再現性を踏み超えた「ムード」としての画面を彼は夢想し、遠慮がちながら「音楽の状態」(ウォルター・ペイター)に憧れを抱いていたのである。漱石がロンドンに留学したのはジェームズ・マクニール・ホイッスラーが《黒と金色のノクターン――落下する花火》(1875)を発表した二十数年後、色調によるムードを重んじるそうした画風が「トーナリズム」の名のもとにアメリカで注目を引いていた時代のことであった。

 

 

2020年10月6日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第30回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

ここでカモメを見たと思ったとき、私の頭はおかしくなかった。だからカモメを見たのではないことが分かった。/時々、物が燃える。私が自分で火をつけたときというだけの意味でなく、自然に火がつくことがある。だから、切れ切れの残骸が時に遠くまで飛んだり、 驚くほど高く舞い上がったりする。/いつしかそれにも慣れた。/でも、できることならぜひ、カモメを見たというのを信じたい。/ 実を言うと、私がこの海岸に来た大きな理由はたぶん、夕日が見たいと思ったからだ。/あるいは潮騒を聞くため。

 

――デイヴィッド・マークソン/木原善彦訳『ウィトゲンシュタインの愛人』(2020)

 

人間も含めて動物がすべて姿を消した地上に、ただ一人で生きている猫好きの女性の独白が延々とつづく。日々の出来事、あれこれの思い出、芸術にまつわるトリビアルな知識、思考、想像などを、彼女は淡々と意識の赴くままにタイプライターで書きとめてゆく。マークソンの小説は、このようにして紡ぎ出されてゆく。

 

彼女は画家で、名前はケイト、年齢は五十前後。かつてソーホーにアトリエを構え、ウィレム・デ・クーニングやロバート・ラウシェンバーグ、それから小説家のウィリアム・ギャディスらと交流があった。結婚して男の子をもうけたが、子どもは幼くして他界し、夫も飲酒が原因で死んでしまう。夫の死は、どうやら彼女の浮気が原因であったらしい。

 

ケイトは放置された自動車を駆って国境の消えた地上を経巡り、また、ときには船も操って、無人の美術館や古跡を訪ね歩く。途中、ルーブル美術館で《モナ・リザ》の額縁を燃やして暖を取ったり、メトロポリタン美術館の壁に自分の絵画作品を展示したりと好き勝手なことをしながら、ともあれ、いまはアメリカの海辺の家で暮らしている。カーオーディオの媒体がテープであることから1980年代以降、CDがテープに取って代わる90年代までのあいだに何かが起こったらしいと察せられる。

 

 

ここに書き記される事柄は、しばしば曖昧で、間違いもあり、のちになって繰り返し修正され訂正される。あるいは、訂正するつもりで却って誤ることもある。いずれにせよ、読者は、正確さを求めて繰り返される話題に幾度となくつきあわされ、そのたびに事柄を捉え直すことを強いられる。はじめに書き記した彼女のプロフィールも、そうした不安定なことばから得た不確定な情報にすぎない。ケイトという名前も末尾近くではヘレンに変わっている。本書のなかで幾度も言及されるトロイア戦争の発端に位置する稀代の〝浮気者〟ヘレネに由来する名前だ。

 

地上にただ一人で生きる者にとって名前など実質的にどうでもいいのだが、この変更が興味深いのは、彼女がホメロスの『オデュッセイア』を思い起こしつつ、ヘレネの従姉妹にあたるペネロペとオデュッセウス、そして彼らの息子のテレマコスの三人にみずからの家族をなぞらえようとしている節があるからだ。ここには、かつてジェイムズ・ジョイスが、オデュッセウスの英語名である「ユリシーズ」の名のもとに行った企ての木霊が感じられるのである。この小説は、現代文学の歴史と神話化された古代ギリシャの歴史のモアレとして成り立っているともいえるのだ。

 

そればかりではない。「私」という一人称が、タイプライターを打っている女性であると同時に、そこに言語として生成されてゆく女性であり、また、この二重化された女性を小説として成就するデイヴィッド・マークソンでもあるという事態に、読者は本書の終結部で否応なく気づかされる。しかも、小説を読みながら、訂正と修正とによって行きつ戻りつする読者としてのこの私も、幾筋かの記憶の繊維として「私」に混紡されているかのように思われもする。

 

 

ここに引いた一節も曖昧だ。このすぐ前のところで、彼女は、カモメに誘われてこの海岸に来たと書いているのだが、しかし、このくだりでは、ここに住みついたのは夕日と潮騒にさそわれたからだという。しかも、自分の眼にしたものがカモメでないことは分かっていると彼女はいう。何かの燃えかすが風に舞ったのだろうというわけだ。別のところでは、海岸で書物の頁を燃やし、それが風に舞う姿をカモメに見立てるシミュレーションを行ったと書いてもいる。

 

ちなみにいえば、この女性は書物を焼き、部屋に火を放ち、家屋を燃やし、また、惜しげもなく荷物を捨て去るのだが、その行動はポトラッチへの連想を誘い、ポトラッチをめぐってジャック・デリダがシカゴ大学で行った講義のタイトル「経済的理性の狂気 The Madness of Economic Reason」いうことばを思い起こさせる。この連想に従うならば、彼女は理性に宿る狂気を体現しているということができるかもしれない。

 

万事この調子で、修正と訂正の繰り返しによって事柄が宙づりにされたまま文章が進行してゆく。輪郭を捉え直す幾筋もの線が、亡霊のように残されたデッサンを見ているようだといってもよい。線の亡霊は事実探究の痕跡にほかならない。彼女が、事実と符合することばを求めていることは、ときおりことばの不正確さを嘆く独白が挟まれることに示されている。いくたびも鏡への言及が繰り返されるのも、このことと無縁ではないだろう。

 

 

彼女がカモメに関心を抱く動機のひとつに、ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインへの関心がある。ウィトゲンシュタイは海鳥が好きで、アイルランドの海辺に暮らしていたときには、たくさんの鳥たちを餌づけして土地の人たちの語り草になったという逸話が伝えられている。彼女は哲学が得意ではないというけれど、ウィトゲンシュタインを読んだことがあり、ぜんぜん難解だとは思わなかったという。げんに、彼女はしばしば『論理哲学論考』冒頭のテーゼを口にする。「世界はそこで起こることのすべてだ」(The world is everything that is the case.)、と。

 

このウィトゲンシュタインのテーゼを踏まえて捉え返すならば、本書は、ひとりの画家がことばで「世界」を描き出そうとする企てとみることができる。事実の出来る限り正確な像を描き出すことで、その世界の構造を正確に捉え返そうとする試行である。ただし、描き出される事実には、思考や記憶、あるいは可能態としての幻影さえも含まれるし、事実と対応しない誤った記述もまた、記述というひとつの事実にほかならない。このようなに複雑に折りたたまれた事実を、「そこで起こること」として、彼女は次々と書き留めてゆく。

 

無人の都市や古跡をさまよっていた頃の彼女は「心から離れた[アウト・オブ・マインド]状態」だった。正気を失うか、もしくは記憶から消えた時間――Time out of mind.――を生きていたというわけだが、このように自らの外部に想定されていた世界は、彼女が「世界」の描写を進めてゆくあいだに、彼女自身を呑み込んでゆく。彼女は、みずからが描き出す「世界」に閉じ込められてゆく。「心から離れた[アウト・オブ・マインド]状態」にあった彼女は、心のなかに捕らわれた状態に、だんだんと陥ってゆく。彼女は独我論[ソリプシズム]症候群を呈しはじめる。ただし、その独我論的空間には、記憶と知覚にまつわるさまざまな声と像とがポリフォニックに交錯している。

 

☆ 

 

ウィトゲンシュタインに会っていれば「きっと彼のことが好きになっていただろう」と、彼女はいう。ウィトゲンシュタイが同性愛者であり、すくなくとも女性の愛人はいなかったことを彼女は知りつつ、そのようにいう。そして、「愛人」という言葉が時代遅れだとも彼女は書きしるす。「愛人」と訳されているmistressは「恋人」「女主人」とも訳されるが、はたしてWittgenstein’s Mistressというタイトルが、いかなる含意を有するのか。修正や訂正を繰り返し、たえず輪郭を変えてゆく本書の成り立ちからして、これを言い止めるのはむつかしい。

 

それでは、本書のモティヴェイションは、いったいどのようなものであるのだろうか。生きられた『論理哲学論考』というようにこの小説を捉える見方もあり、なるほどそのようにもいえるのだが、本書には、『哲学探究』によって代表されるウィトゲンシュタイン後期の思想の影も揺曳している。生の有りようと同じく予測不可能なゲームとして言語活動を捉え返し、ことばは、そのゲームにおいて――ときには真剣に、あるいは嬉々として行われる言語ゲームにおいて――意味を帯びるとする発想だ。

 

マークソンのモティヴェイションは、ケイトのモティヴェイションに対するメタの立場にありながら、その大部分をケイトと分有しているとみることができる。つまり、モティヴェイションにかんしてマークソンとケイトが互いに互いのゴーストであるような状態が想定されるのだが、もしそうだとすれば、本書のモティヴェイションは書くということにまつわる情動といえるのではないだろうか。すなわち、書くことと生きることを同期させる情動である。ケイトにとって書き記すことが――「この海岸に誰かが住んでいる」という末尾のことばが暗示するように――自身の存在の証であるのだとすれば、彼女の叙述に自己の小説を重ね合わせるマークソンにとっても、書くことは自己の存在の手ごたえを得る手段だったのではないかということだ。

 

だが、本書のモティヴェイションを示すには、本書にしるされた音楽をめぐる次のエピソードを引用すれば、それで事足りるのかもしれない。

 

かつて誰かがロベルト・シューマンに、今あなたが弾いていた曲の意味を説明してくださいと言ったことがある。/するとロベルト・シューマンはもう一度ピアノの前に座り、 同じ曲を弾いた。

 

 

このいささか長くなりすぎた小文の締めくくりとして、ついさっき引いたこの小説の末尾の一行を、デイヴィッド・マークソンがケイトと共にしるした遣る瀬なく切ないメッセージを原文から引いておくことにしよう。

 

Somebody is living on this beach.

 

*[ ]内は直前の語の振り仮名。スラッシュは原文改行。

 

 

 

 2020年9月23日改稿

2020年9月10日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第29回

 

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

あゝ麗はしい距離[デスタンス]

常に遠のいてゆく風景……

 ――吉田一穂「母」、『海の聖母』(1926)より

  

「母」という「あらかじめ失われた恋人」(リルケ)にまつわるこの抒情は、一行の空白を置いて、次の二行で結ばれている。

  

悲しみの彼方、母への、

捜り打つ夜半の最弱音[ピアニツシモ]。

  

SARS-CoV-2の白夜の季節のなかで、あらかじめ失われたつながりを、それでも敢えて希求する者たちは――ソーシャル・ディスタンシングが出現させる裂け目に身を横たえるようにして――PCのキーボードに向かい、おずおずと打鍵[キー]に触れる。打鍵[キー]から打鍵[キー]へと行き来する指先が探り当て探り出すひそやかな情動は、文字の姿をまとって、やがてインターネットの迷宮へと吸い込まれてゆく。そして、白夜の底の八衢[やちまた]を、ヴァニシング・ポイント目指して、消え入るように駆け抜けてゆく。けっして縮まることのない距離をこえて。

  

ポスト・コロナ時代のニュー・ノーマルが、あれこれ取りざたされているが、とりたてて新しいものが到来するというわけでもなさそうに思う。オンライン授業やテレワークなど、プレ・コロナ時代において既に孕まれていた可能性が否応なく、極端なかたちで広範囲にわたって次々と顕在化してゆくというのが、実際のところなのにちがいない。

 

ソーシャル・ディスタンシングが、やかましく言われるようになってから、リアルな空間を身体的に共有する濃密なかかわりがノスタルジックに語られるようになったけれど、こうしたメンタリティーは、インターネットが普及する過程で、だんだんと醸成されてきたところであった。ちなみにいえば、いまやマナーとなったマスク着用にしても、日本や韓国の若い人たちのあいだではCOVID-19の蔓延以前から一種のファッションとして既に拡がりをみせていた。

 

だが、疫病の蔓延による他の身体への怖れと、それゆえのみずからの身体への縛りとが、堪えがたいまでにノスタルジーを強化したことは否めない。また、これによって他者との関係に微妙な歪みや亀裂が生じたことも――あるいは、歪みや亀裂が際立つようになったことも――まちがいない。

 

ヴァーチャルな空間における他者との関係は、リアルな空間におけるそれと、はたして拮抗しうるのだろうか。そもそもリアルとヴァーチャルの境界などあるのだろうか。こういう思いが、「距離[デスタンス]」を詠じた吉田一穂の詩句を、センチメンタリズムをともないつつ思い起こさせるのだ。

 

 

2020年8月4日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


天才クリエイターに寄り添うプロデューサー鈴木敏夫も最高のクリエイターである

アート・デザイン表現学科 非常勤講師

山嵜一也

  

◆推薦図書

天才の思考 高畑勲と宮崎駿 (文春新書) – 2019/5/20

鈴木敏夫 (著)

  

  

 この本の著者、鈴木敏夫がいなければスタジオジブリの名作「千と千尋の神隠し」も「となりのトトロ」も生まれなかった。

  

 アートとデザインに興味のある女子美生ならジブリ作品を見た人も多いのではないだろうか。スタジオジブリのクリエイターと言えば宮崎駿や高畑勲の名を思い浮かべるが、彼らと並走して数々のジブリ作品を世に送り出してきたのがプロデューサー鈴木敏夫である。本書は「天才の思考」というタイトルの通り、天才クリエイター高畑勲と宮崎駿の思考法をその制作秘話と共に読者へと届ける本であるが、私は本書を、彼らに寄り添い苦悩する鈴木敏夫が仕事との向き合い方を説く本、だと解釈した。

  

 そもそも、プロデューサーの仕事とは何であろうか?

   

 その答えは、ジブリ映画の名作「紅の豚」の制作裏話から把握できる。当初、この映画は短編作品の企画でスタートした。宮崎駿監督はたった一人の制作チームを立ち上げるも、いつまでも人員を補充してくれない鈴木敏夫に抗議をする。しかし、その抗議に敢えて反応しない。無視するのもプロデューサーの仕事だ、と言ってのける。

  

 制作が進むと飛行機映画ということで、機内上映作品としての提案を日本航空(JAL)に持ち込む。その後、映画のストーリーが長くなり短編映画から本格的な長編映画になると、今度はJAL初のスポンサー作品と話が進む。しかし、主人公が”豚”のパイロットはいかがなものか、と横槍が入る。会議室でJALの宣伝部長と二人きりで膝を突き合わせて喧々諤々。また、社長にもタイトルを報告出来ないまま広告宣伝を考えていたので、当初のポスター案にはタイトルも主人公ポルコの絵も入れられなかった。まさに綱渡り。

  

 映画を上映する劇場の手配をするのもプロデューサーの仕事だ。紅の豚公開と同時期のスピルバーグ監督映画に大きな劇場を抑えられていたが、映画配給会社の偉い人(以前の仕事で大げんかした相手!)は鈴木敏夫の本気度を確認すると前代未聞の作戦を実行してくれる・・・。

  

 女子美にいらっしゃるスタジオジブリ出身の先生からは、物語を作っている宮崎駿監督自身も展開がわからないことがあるという壮絶な舞台裏を聞いたことがある。そのような状況の中で同時進行でプロデューサーは作品をどのようにして良くし、どのように売り出していくかという戦略を考えているのだ。

  

 この本は大学で共同作業(グループワーク授業、部活、学園祭など)に取り組むときにきっと勇気づけられる話が満載だ。例えば、グループワーク授業では、メンバーに挟まれて自分を発揮できない学生、調整役に回ってクリエイティブを発揮できない学生、悶々としている学生が毎年出てくる。そこに至るまでも、スケッチブックやキャンバス、パソコン画面に向かって黙々と作業している時に、「巧く表現できない」「面白いアイデアが浮かばない」などと悩んでいたかもしれない。しかし、共同作業は全く違う次元の悩み、人間関係の悩みを浮き彫りにする。

  

 グループワーク授業とアニメ制作会社のプロデューサーの仕事は比較できないかも知れないが、天才クリエイターと現場の板挟みになりながらも仕事をすすめるプロデューサーの姿に、それも立派なクリエイティブ作業であるし、その調整能力というのは後に自分のクリエイティブに大きく役に立つということを気付かせてくれる。実際、鈴木敏夫の企画書などに描かれる手書きのイラストは非常にうまい。また、皆が興味を引く宣伝キャッチコピーの名手であるばかりか、筆を持たせても味のある文字を描く書道家でもある。個展を開催し、作品集や書籍も多数出版している。調整能力に長けているだけでなく、この人自身が最高のクリエイターなのだ。

  

 社会に出るとたった一人で黙々と創作をする場面は極めて少なく、常に誰かと共同作業をしなければならない。なかにはそりの合わない人だっているだろう。それでも誰かを助け、誰かに助けられ、誰かを動かし、誰かに動かされる。誰かと一緒に何かを作り上げていくには調整も立派な創作活動の一部なのだ。

  

 この本はアニメーション映画の制作ドキュメンタリーでありながら、無理難題を押しつける天才クリエイターに寄り添い私たちにジブリ作品を届けてくれるプロデューサー鈴木敏夫の”調整作業”ドキュメンタリーでもある。それはこれから社会に飛び立ち、デザイン、ものづくり、クリエイティブ環境で働いていく女子美生の学び方、働き方へのヒントにもなるだろう。

  

2020年5月8日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第28回

 
女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

とてもうつくしい曲ですね。だれが書いたのですか?

――ジョゼフ=モーリス・ラヴェル

  

このことばは、最晩年のラヴェルが、自分自身の代表作のひとつ「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いたときの発言。その頃、ラヴェルは記憶と言語の障碍に悩まされ、ついには署名すらままならない状態に陥っていた。

  

ラヴェル最晩年のこうした容態に照らしていえば、 「とてもうつくしい曲ですね」というのは、掛け値なしの自己評価とみることもできないではないものの、そのときラヴェルはラヴェル自身であったと言い切れるかどうか。むしろ、この発言は、自己意識を超える芸術家の感性――お望みならば「たましい」といってもいい――へと思いを誘わずにはいない。

  

作者の名前と切り離されてはじめて、楽曲は、ほんとうの音楽になる。ラヴェルがパリ音楽院在学中にピアノ曲として作曲された「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、ほかならぬラヴェルにおいて、作者の名前と切り離され、「音楽」そのものとして鳴り響いたのではなかったろうか。そういえば、作曲後十数年経ったところで、彼はこの自作について、 批評家に委ねることのできる距離が既に自分とあいだにできていると述べていた。

  

黒い皮表紙の古い手帖に書き留めてあったことばを、そのまま引いた。出典は不明。

  

  

2020年4月9日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第27回

 

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

われわれは立体的な量塊のすべての面を一度に見ることはできない。したがって彫刻家は自分の石の量塊の周囲をあるきまわり、あらゆる点からみて満足のゆくようにしようと努力する。このようにして彫刻家は成功への遠い道を行くのであるが、しかし彼は量塊そのもののうちに具わっている概念から生まれてくる、いわば四次元の過程を創作行為とする彫刻家ほどに成功することはできない。

――ハーバート・リード/瀧口修造訳『芸術の意味』(1958)

  

鑑賞において多視点を要請する彫像を、視点をつぎはぎしたディジタル性から救い出すのは像をめぐる身体の動きだ。身体のアナログな所作において彫像は脳内に再形成されてゆくのである。

  

それでは、「量塊そのもののうちに具わっている概念から生まれてくる、いわば四次元の過程を創作行為とする」とは、いったいどういうことか。「四次元」を、三次元を成す量塊を時間性において――連続移動の相において――捉え返した概念と考えれば、時間性を創作行為に取り入れるということになるが、リードは、ヘンリー・ムーアの彫像を念頭におきながら、次のようにしるしている。「この場合、形態とは、彫刻家の眼前にある石塊の重力の中心に想像上位置している彫刻家によって行われる面の直観にほかならない。この直観に導かれて、石は次第に気紛れな状態から存在の理想的な状態へと育まれてゆく。」

  

「重力の中心center of gravity」は、ふつう「重心」と訳される。物体の質量massが集中する1点のことだ。2つの物体の関係態においては、物体の外部に――モノとモノのあいだに――重心が求められる場合もあるが、リードは、量塊massの内部の一点を問題にしている。引力の集中する内部の一点に視座を定めて、量塊のすべての面を内側から一挙に直観することの重要さをリードは説いているのだ。これは、量塊をめぐってあるきまわることとは大きく異なる。これは、いくつもの視点、いくつもの視像の継ぎはぎではない。

  

ムーアに即して述べられたこのくだりは、一枚の葉を量塊の尖端として捉えよと言ったオーギュスト・ロダンの教えの裏返しにほかならない。ロダンの葉の教えは、木の葉を一枚一枚の薄っぺらなものとして見るのではなく、樹冠を形成する数多の面として捉えよという意味だが、リードが重視する量塊の内なる想像的視座は、樹木の譬えに沿っていえば、幹を登って樹冠のなかに入り込むことで得ることができるものだ。

  

ただし、樹冠を成す無数の面を、葉の繁みの内側から木洩れ日を頼りに眺め渡すというだけのことではない。樹葉に包まれた彫刻家は、量塊としての樹冠を、みずからの身体によって想像的に充たさなければならず、そのためには、これを可能とするポジションを――つまりは重心を――差し交す枝々のあいだから探り出さなければならない。すなわち、彫刻家は、これによって量塊の内部からその形象を触知的に体感することになる。

  

あるいは、こういってもよい。ここにおいて彫刻家は彫刻と一体化し、脳内の彫刻が身体的次元で成就するのだ、と。こうして「石は次第に気紛れな状態から存在の理想的な状態へと育まれてゆく」のである。

  

  

2020年4月8日改稿

2020年3月23日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第26回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

まづ水。

――石川淳「至福千年」(1967)

  

400字詰め原稿用紙で800枚に及ばんとする長編小説「至福千年」の書き出し。つづいて「その性のよしあしはてきめんに仕事にひびく」とあって、更紗職人の話につながってゆくのだが、この体言止めのセンテンスは強い。もしかすると、万物の根源は水であると考えたタレスの思想が、ここに残響をとどめているのかもしれない。水の場面の印象的なこの小説ゆえの連想だが、はたして穿ちすぎであろうか。「岩のくぼみに湧き出る湯の、池ほどに広くみなぎつて、量ゆたかに、岩のふちにあふれ、おのづから波を打つてきらめいた。どこから落ちて来る光か、光の色は星に似てゐた。」タレスは、天文学者として知られており、こぐま座の名付け親ともいわれる。ヘレニズム期の詩人カリマコスは、タレスが大熊座に寄り添う星たちの小さな群を観測し、フェニキア人たちは、それを頼りに船を走らせるとしるしている。

 

   

2020年2月20日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第25回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

私を捉えて離さないものは、たぶん恋ではない。きっと愛でもないのだろう。私の抱えている執着の正体が、いったいなんなのかわからない。けれどそんなことは、もうとっくにどうでもよくなっている。しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも。

――角田光代『愛がなんだ』(2006)

 

「私」は「マモちゃん」という男性に心を奪われている。別段カッコいいわけでもなく、「海老」に喩えられるような容姿なのだが、ヒロインは、そんな彼に対する「執着」を抱え込んでいる。

  

「マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と、「どうでもいい」とに」と述懐する彼女の構えは、ほとんどフェティシズムに等しい。「マモちゃん」は、男としての感覚的な価値を超える超感覚的な次元で、あるいは人間的な価値を越える超価値論的次元で、つまりは訳の分からない魅力を発揮するフェティッシュとしてヒロインを呪縛している。それゆえ「私」は常軌を逸して彼に寄り添おうとするのだ。西洋人がもたらす〝ガラクタ〟を手に入れるために黄金を惜しみなくつぎ込む15世紀のアフリカ人たちのように。

  

アーティストにとっては、芸術こそ「マモちゃん」なのかもしれない。引き返すことができないところまで来てしまったアーティストにとって「芸術」なるものは、思うに「しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも」いい何かなのだ。その「何か」を一言でいいあらわせば、フェティッシュとして物象化された芸術であり、ときには苦痛でもあるその呪力に耐えうるならば、ひとはアーティストでありつづけることができる。「マモちゃん」に寄り添うことで自分でありつづけようとする「私」のように。

  

  

2020年1月28日
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