先生の本棚から

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第30回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

ここでカモメを見たと思ったとき、私の頭はおかしくなかった。だからカモメを見たのではないことが分かった。/時々、物が燃える。私が自分で火をつけたときというだけの意味でなく、自然に火がつくことがある。だから、切れ切れの残骸が時に遠くまで飛んだり、 驚くほど高く舞い上がったりする。/いつしかそれにも慣れた。/でも、できることならぜひ、カモメを見たというのを信じたい。/ 実を言うと、私がこの海岸に来た大きな理由はたぶん、夕日が見たいと思ったからだ。/あるいは潮騒を聞くため。

 

――デイヴィッド・マークソン/木原善彦訳『ウィトゲンシュタインの愛人』(2020)

 

人間も含めて動物がすべて姿を消した地上に、ただ一人で生きている猫好きの女性の独白が延々とつづく。日々の出来事、あれこれの思い出、芸術にまつわるトリビアルな知識、思考、想像などを、彼女は淡々と意識の赴くままにタイプライターで書きとめてゆく。マークソンの小説は、このようにして紡ぎ出されてゆく。

 

彼女は画家で、名前はケイト、年齢は五十前後。かつてソーホーにアトリエを構え、ウィレム・デ・クーニングやロバート・ラウシェンバーグ、それから小説家のウィリアム・ギャディスらと交流があった。結婚して男の子をもうけたが、子どもは幼くして他界し、夫も飲酒が原因で死んでしまう。夫の死は、どうやら彼女の浮気が原因であったらしい。

 

ケイトは放置された自動車を駆って国境の消えた地上を経巡り、また、ときには船も操って、無人の美術館や古跡を訪ね歩く。途中、ルーブル美術館で《モナ・リザ》の額縁を燃やして暖を取ったり、メトロポリタン美術館の壁に自分の絵画作品を展示したりと好き勝手なことをしながら、ともあれ、いまはアメリカの海辺の家で暮らしている。カーオーディオの媒体がテープであることから1980年代以降、CDがテープに取って代わる90年代までのあいだに何かが起こったらしいと察せられる。

 

 

ここに書き記される事柄は、しばしば曖昧で、間違いもあり、のちになって繰り返し修正され訂正される。あるいは、訂正するつもりで却って誤ることもある。いずれにせよ、読者は、正確さを求めて繰り返される話題に幾度となくつきあわされ、そのたびに事柄を捉え直すことを強いられる。はじめに書き記した彼女のプロフィールも、そうした不安定なことばから得た不確定な情報にすぎない。ケイトという名前も末尾近くではヘレンに変わっている。本書のなかで幾度も言及されるトロイア戦争の発端に位置する稀代の〝浮気者〟ヘレネに由来する名前だ。

 

地上にただ一人で生きる者にとって名前など実質的にどうでもいいのだが、この変更が興味深いのは、彼女がホメロスの『オデュッセイア』を思い起こしつつ、ヘレネの従姉妹にあたるペネロペとオデュッセウス、そして彼らの息子のテレマコスの三人にみずからの家族をなぞらえようとしている節があるからだ。ここには、かつてジェイムズ・ジョイスが、オデュッセウスの英語名である「ユリシーズ」の名のもとに行った企ての木霊が感じられるのである。この小説は、現代文学の歴史と神話化された古代ギリシャの歴史のモアレとして成り立っているともいえるのだ。

 

そればかりではない。「私」という一人称が、タイプライターを打っている女性であると同時に、そこに言語として生成されてゆく女性であり、また、この二重化された女性を小説として成就するデイヴィッド・マークソンでもあるという事態に、読者は本書の終結部で否応なく気づかされる。しかも、小説を読みながら、訂正と修正とによって行きつ戻りつする読者としてのこの私も、幾筋かの記憶の繊維として「私」に混紡されているかのように思われもする。

 

 

ここに引いた一節も曖昧だ。このすぐ前のところで、彼女は、カモメに誘われてこの海岸に来たと書いているのだが、しかし、このくだりでは、ここに住みついたのは夕日と潮騒にさそわれたからだという。しかも、自分の眼にしたものがカモメでないことは分かっていると彼女はいう。何かの燃えかすが風に舞ったのだろうというわけだ。別のところでは、海岸で書物の頁を燃やし、それが風に舞う姿をカモメに見立てるシミュレーションを行ったと書いてもいる。

 

ちなみにいえば、この女性は書物を焼き、部屋に火を放ち、家屋を燃やし、また、惜しげもなく荷物を捨て去るのだが、その行動はポトラッチへの連想を誘い、ポトラッチをめぐってジャック・デリダがシカゴ大学で行った講義のタイトル「経済的理性の狂気 The Madness of Economic Reason」いうことばを思い起こさせる。この連想に従うならば、彼女は理性に宿る狂気を体現しているということができるかもしれない。

 

万事この調子で、修正と訂正の繰り返しによって事柄が宙づりにされたまま文章が進行してゆく。輪郭を捉え直す幾筋もの線が、亡霊のように残されたデッサンを見ているようだといってもよい。線の亡霊は事実探究の痕跡にほかならない。彼女が、事実と符合することばを求めていることは、ときおりことばの不正確さを嘆く独白が挟まれることに示されている。いくたびも鏡への言及が繰り返されるのも、このことと無縁ではないだろう。

 

 

彼女がカモメに関心を抱く動機のひとつに、ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインへの関心がある。ウィトゲンシュタイは海鳥が好きで、アイルランドの海辺に暮らしていたときには、たくさんの鳥たちを餌づけして土地の人たちの語り草になったという逸話が伝えられている。彼女は哲学が得意ではないというけれど、ウィトゲンシュタインを読んだことがあり、ぜんぜん難解だとは思わなかったという。げんに、彼女はしばしば『論理哲学論考』冒頭のテーゼを口にする。「世界はそこで起こることのすべてだ」(The world is everything that is the case.)、と。

 

このウィトゲンシュタインのテーゼを踏まえて捉え返すならば、本書は、ひとりの画家がことばで「世界」を描き出そうとする企てとみることができる。事実の出来る限り正確な像を描き出すことで、その世界の構造を正確に捉え返そうとする試行である。ただし、描き出される事実には、思考や記憶、あるいは可能態としての幻影さえも含まれるし、事実と対応しない誤った記述もまた、記述というひとつの事実にほかならない。このようなに複雑に折りたたまれた事実を、「そこで起こること」として、彼女は次々と書き留めてゆく。

 

無人の都市や古跡をさまよっていた頃の彼女は「心から離れた[アウト・オブ・マインド]状態」だった。正気を失うか、もしくは記憶から消えた時間――Time out of mind.――を生きていたというわけだが、このように自らの外部に想定されていた世界は、彼女が「世界」の描写を進めてゆくあいだに、彼女自身を呑み込んでゆく。彼女は、みずからが描き出す「世界」に閉じ込められてゆく。「心から離れた[アウト・オブ・マインド]状態」にあった彼女は、心のなかに捕らわれた状態に、だんだんと陥ってゆく。彼女は独我論[ソリプシズム]症候群を呈しはじめる。ただし、その独我論的空間には、記憶と知覚にまつわるさまざまな声と像とがポリフォニックに交錯している。

 

☆ 

 

ウィトゲンシュタインに会っていれば「きっと彼のことが好きになっていただろう」と、彼女はいう。ウィトゲンシュタイが同性愛者であり、すくなくとも女性の愛人はいなかったことを彼女は知りつつ、そのようにいう。そして、「愛人」という言葉が時代遅れだとも彼女は書きしるす。「愛人」と訳されているmistressは「恋人」「女主人」とも訳されるが、はたしてWittgenstein’s Mistressというタイトルが、いかなる含意を有するのか。修正や訂正を繰り返し、たえず輪郭を変えてゆく本書の成り立ちからして、これを言い止めるのはむつかしい。

 

それでは、本書のモティヴェイションは、いったいどのようなものであるのだろうか。生きられた『論理哲学論考』というようにこの小説を捉える見方もあり、なるほどそのようにもいえるのだが、本書には、『哲学探究』によって代表されるウィトゲンシュタイン後期の思想の影も揺曳している。生の有りようと同じく予測不可能なゲームとして言語活動を捉え返し、ことばは、そのゲームにおいて――ときには真剣に、あるいは嬉々として行われる言語ゲームにおいて――意味を帯びるとする発想だ。

 

マークソンのモティヴェイションは、ケイトのモティヴェイションに対するメタの立場にありながら、その大部分をケイトと分有しているとみることができる。つまり、モティヴェイションにかんしてマークソンとケイトが互いに互いのゴーストであるような状態が想定されるのだが、もしそうだとすれば、本書のモティヴェイションは書くということにまつわる情動といえるのではないだろうか。すなわち、書くことと生きることを同期させる情動である。ケイトにとって書き記すことが――「この海岸に誰かが住んでいる」という末尾のことばが暗示するように――自身の存在の証であるのだとすれば、彼女の叙述に自己の小説を重ね合わせるマークソンにとっても、書くことは自己の存在の手ごたえを得る手段だったのではないかということだ。

 

だが、本書のモティヴェイションを示すには、本書にしるされた音楽をめぐる次のエピソードを引用すれば、それで事足りるのかもしれない。

 

かつて誰かがロベルト・シューマンに、今あなたが弾いていた曲の意味を説明してくださいと言ったことがある。/するとロベルト・シューマンはもう一度ピアノの前に座り、 同じ曲を弾いた。

 

 

このいささか長くなりすぎた小文の締めくくりとして、ついさっき引いたこの小説の末尾の一行を、デイヴィッド・マークソンがケイトと共にしるした遣る瀬なく切ないメッセージを原文から引いておくことにしよう。

 

Somebody is living on this beach.

 

*[ ]内は直前の語の振り仮名。スラッシュは原文改行。

 

 

 

 2020年9月23日改稿

2020年9月10日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第29回

 

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

あゝ麗はしい距離[デスタンス]

常に遠のいてゆく風景……

 ――吉田一穂「母」、『海の聖母』(1926)より

  

「母」という「あらかじめ失われた恋人」(リルケ)にまつわるこの抒情は、一行の空白を置いて、次の二行で結ばれている。

  

悲しみの彼方、母への、

捜り打つ夜半の最弱音[ピアニツシモ]。

  

SARS-CoV-2の白夜の季節のなかで、あらかじめ失われたつながりを、それでも敢えて希求する者たちは――ソーシャル・ディスタンシングが出現させる裂け目に身を横たえるようにして――PCのキーボードに向かい、おずおずと打鍵[キー]に触れる。打鍵[キー]から打鍵[キー]へと行き来する指先が探り当て探り出すひそやかな情動は、文字の姿をまとって、やがてインターネットの迷宮へと吸い込まれてゆく。そして、白夜の底の八衢[やちまた]を、ヴァニシング・ポイント目指して、消え入るように駆け抜けてゆく。けっして縮まることのない距離をこえて。

  

ポスト・コロナ時代のニュー・ノーマルが、あれこれ取りざたされているが、とりたてて新しいものが到来するというわけでもなさそうに思う。オンライン授業やテレワークなど、プレ・コロナ時代において既に孕まれていた可能性が否応なく、極端なかたちで広範囲にわたって次々と顕在化してゆくというのが、実際のところなのにちがいない。

 

ソーシャル・ディスタンシングが、やかましく言われるようになってから、リアルな空間を身体的に共有する濃密なかかわりがノスタルジックに語られるようになったけれど、こうしたメンタリティーは、インターネットが普及する過程で、だんだんと醸成されてきたところであった。ちなみにいえば、いまやマナーとなったマスク着用にしても、日本や韓国の若い人たちのあいだではCOVID-19の蔓延以前から一種のファッションとして既に拡がりをみせていた。

 

だが、疫病の蔓延による他の身体への怖れと、それゆえのみずからの身体への縛りとが、堪えがたいまでにノスタルジーを強化したことは否めない。また、これによって他者との関係に微妙な歪みや亀裂が生じたことも――あるいは、歪みや亀裂が際立つようになったことも――まちがいない。

 

ヴァーチャルな空間における他者との関係は、リアルな空間におけるそれと、はたして拮抗しうるのだろうか。そもそもリアルとヴァーチャルの境界などあるのだろうか。こういう思いが、「距離[デスタンス]」を詠じた吉田一穂の詩句を、センチメンタリズムをともないつつ思い起こさせるのだ。

 

 

2020年8月4日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


天才クリエイターに寄り添うプロデューサー鈴木敏夫も最高のクリエイターである

アート・デザイン表現学科 非常勤講師

山嵜一也

  

◆推薦図書

天才の思考 高畑勲と宮崎駿 (文春新書) – 2019/5/20

鈴木敏夫 (著)

  

  

 この本の著者、鈴木敏夫がいなければスタジオジブリの名作「千と千尋の神隠し」も「となりのトトロ」も生まれなかった。

  

 アートとデザインに興味のある女子美生ならジブリ作品を見た人も多いのではないだろうか。スタジオジブリのクリエイターと言えば宮崎駿や高畑勲の名を思い浮かべるが、彼らと並走して数々のジブリ作品を世に送り出してきたのがプロデューサー鈴木敏夫である。本書は「天才の思考」というタイトルの通り、天才クリエイター高畑勲と宮崎駿の思考法をその制作秘話と共に読者へと届ける本であるが、私は本書を、彼らに寄り添い苦悩する鈴木敏夫が仕事との向き合い方を説く本、だと解釈した。

  

 そもそも、プロデューサーの仕事とは何であろうか?

   

 その答えは、ジブリ映画の名作「紅の豚」の制作裏話から把握できる。当初、この映画は短編作品の企画でスタートした。宮崎駿監督はたった一人の制作チームを立ち上げるも、いつまでも人員を補充してくれない鈴木敏夫に抗議をする。しかし、その抗議に敢えて反応しない。無視するのもプロデューサーの仕事だ、と言ってのける。

  

 制作が進むと飛行機映画ということで、機内上映作品としての提案を日本航空(JAL)に持ち込む。その後、映画のストーリーが長くなり短編映画から本格的な長編映画になると、今度はJAL初のスポンサー作品と話が進む。しかし、主人公が”豚”のパイロットはいかがなものか、と横槍が入る。会議室でJALの宣伝部長と二人きりで膝を突き合わせて喧々諤々。また、社長にもタイトルを報告出来ないまま広告宣伝を考えていたので、当初のポスター案にはタイトルも主人公ポルコの絵も入れられなかった。まさに綱渡り。

  

 映画を上映する劇場の手配をするのもプロデューサーの仕事だ。紅の豚公開と同時期のスピルバーグ監督映画に大きな劇場を抑えられていたが、映画配給会社の偉い人(以前の仕事で大げんかした相手!)は鈴木敏夫の本気度を確認すると前代未聞の作戦を実行してくれる・・・。

  

 女子美にいらっしゃるスタジオジブリ出身の先生からは、物語を作っている宮崎駿監督自身も展開がわからないことがあるという壮絶な舞台裏を聞いたことがある。そのような状況の中で同時進行でプロデューサーは作品をどのようにして良くし、どのように売り出していくかという戦略を考えているのだ。

  

 この本は大学で共同作業(グループワーク授業、部活、学園祭など)に取り組むときにきっと勇気づけられる話が満載だ。例えば、グループワーク授業では、メンバーに挟まれて自分を発揮できない学生、調整役に回ってクリエイティブを発揮できない学生、悶々としている学生が毎年出てくる。そこに至るまでも、スケッチブックやキャンバス、パソコン画面に向かって黙々と作業している時に、「巧く表現できない」「面白いアイデアが浮かばない」などと悩んでいたかもしれない。しかし、共同作業は全く違う次元の悩み、人間関係の悩みを浮き彫りにする。

  

 グループワーク授業とアニメ制作会社のプロデューサーの仕事は比較できないかも知れないが、天才クリエイターと現場の板挟みになりながらも仕事をすすめるプロデューサーの姿に、それも立派なクリエイティブ作業であるし、その調整能力というのは後に自分のクリエイティブに大きく役に立つということを気付かせてくれる。実際、鈴木敏夫の企画書などに描かれる手書きのイラストは非常にうまい。また、皆が興味を引く宣伝キャッチコピーの名手であるばかりか、筆を持たせても味のある文字を描く書道家でもある。個展を開催し、作品集や書籍も多数出版している。調整能力に長けているだけでなく、この人自身が最高のクリエイターなのだ。

  

 社会に出るとたった一人で黙々と創作をする場面は極めて少なく、常に誰かと共同作業をしなければならない。なかにはそりの合わない人だっているだろう。それでも誰かを助け、誰かに助けられ、誰かを動かし、誰かに動かされる。誰かと一緒に何かを作り上げていくには調整も立派な創作活動の一部なのだ。

  

 この本はアニメーション映画の制作ドキュメンタリーでありながら、無理難題を押しつける天才クリエイターに寄り添い私たちにジブリ作品を届けてくれるプロデューサー鈴木敏夫の”調整作業”ドキュメンタリーでもある。それはこれから社会に飛び立ち、デザイン、ものづくり、クリエイティブ環境で働いていく女子美生の学び方、働き方へのヒントにもなるだろう。

  

2020年5月8日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第28回

 
女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

とてもうつくしい曲ですね。だれが書いたのですか?

――ジョゼフ=モーリス・ラヴェル

  

このことばは、最晩年のラヴェルが、自分自身の代表作のひとつ「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聞いたときの発言。その頃、ラヴェルは記憶と言語の障碍に悩まされ、ついには署名すらままならない状態に陥っていた。

  

ラヴェル最晩年のこうした容態に照らしていえば、 「とてもうつくしい曲ですね」というのは、掛け値なしの自己評価とみることもできないではないものの、そのときラヴェルはラヴェル自身であったと言い切れるかどうか。むしろ、この発言は、自己意識を超える芸術家の感性――お望みならば「たましい」といってもいい――へと思いを誘わずにはいない。

  

作者の名前と切り離されてはじめて、楽曲は、ほんとうの音楽になる。ラヴェルがパリ音楽院在学中にピアノ曲として作曲された「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、ほかならぬラヴェルにおいて、作者の名前と切り離され、「音楽」そのものとして鳴り響いたのではなかったろうか。そういえば、作曲後十数年経ったところで、彼はこの自作について、 批評家に委ねることのできる距離が既に自分とあいだにできていると述べていた。

  

黒い皮表紙の古い手帖に書き留めてあったことばを、そのまま引いた。出典は不明。

  

  

2020年4月9日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第27回

 

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

われわれは立体的な量塊のすべての面を一度に見ることはできない。したがって彫刻家は自分の石の量塊の周囲をあるきまわり、あらゆる点からみて満足のゆくようにしようと努力する。このようにして彫刻家は成功への遠い道を行くのであるが、しかし彼は量塊そのもののうちに具わっている概念から生まれてくる、いわば四次元の過程を創作行為とする彫刻家ほどに成功することはできない。

――ハーバート・リード/瀧口修造訳『芸術の意味』(1958)

  

鑑賞において多視点を要請する彫像を、視点をつぎはぎしたディジタル性から救い出すのは像をめぐる身体の動きだ。身体のアナログな所作において彫像は脳内に再形成されてゆくのである。

  

それでは、「量塊そのもののうちに具わっている概念から生まれてくる、いわば四次元の過程を創作行為とする」とは、いったいどういうことか。「四次元」を、三次元を成す量塊を時間性において――連続移動の相において――捉え返した概念と考えれば、時間性を創作行為に取り入れるということになるが、リードは、ヘンリー・ムーアの彫像を念頭におきながら、次のようにしるしている。「この場合、形態とは、彫刻家の眼前にある石塊の重力の中心に想像上位置している彫刻家によって行われる面の直観にほかならない。この直観に導かれて、石は次第に気紛れな状態から存在の理想的な状態へと育まれてゆく。」

  

「重力の中心center of gravity」は、ふつう「重心」と訳される。物体の質量massが集中する1点のことだ。2つの物体の関係態においては、物体の外部に――モノとモノのあいだに――重心が求められる場合もあるが、リードは、量塊massの内部の一点を問題にしている。引力の集中する内部の一点に視座を定めて、量塊のすべての面を内側から一挙に直観することの重要さをリードは説いているのだ。これは、量塊をめぐってあるきまわることとは大きく異なる。これは、いくつもの視点、いくつもの視像の継ぎはぎではない。

  

ムーアに即して述べられたこのくだりは、一枚の葉を量塊の尖端として捉えよと言ったオーギュスト・ロダンの教えの裏返しにほかならない。ロダンの葉の教えは、木の葉を一枚一枚の薄っぺらなものとして見るのではなく、樹冠を形成する数多の面として捉えよという意味だが、リードが重視する量塊の内なる想像的視座は、樹木の譬えに沿っていえば、幹を登って樹冠のなかに入り込むことで得ることができるものだ。

  

ただし、樹冠を成す無数の面を、葉の繁みの内側から木洩れ日を頼りに眺め渡すというだけのことではない。樹葉に包まれた彫刻家は、量塊としての樹冠を、みずからの身体によって想像的に充たさなければならず、そのためには、これを可能とするポジションを――つまりは重心を――差し交す枝々のあいだから探り出さなければならない。すなわち、彫刻家は、これによって量塊の内部からその形象を触知的に体感することになる。

  

あるいは、こういってもよい。ここにおいて彫刻家は彫刻と一体化し、脳内の彫刻が身体的次元で成就するのだ、と。こうして「石は次第に気紛れな状態から存在の理想的な状態へと育まれてゆく」のである。

  

  

2020年4月8日改稿

2020年3月23日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第26回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

まづ水。

――石川淳「至福千年」(1967)

  

400字詰め原稿用紙で800枚に及ばんとする長編小説「至福千年」の書き出し。つづいて「その性のよしあしはてきめんに仕事にひびく」とあって、更紗職人の話につながってゆくのだが、この体言止めのセンテンスは強い。もしかすると、万物の根源は水であると考えたタレスの思想が、ここに残響をとどめているのかもしれない。水の場面の印象的なこの小説ゆえの連想だが、はたして穿ちすぎであろうか。「岩のくぼみに湧き出る湯の、池ほどに広くみなぎつて、量ゆたかに、岩のふちにあふれ、おのづから波を打つてきらめいた。どこから落ちて来る光か、光の色は星に似てゐた。」タレスは、天文学者として知られており、こぐま座の名付け親ともいわれる。ヘレニズム期の詩人カリマコスは、タレスが大熊座に寄り添う星たちの小さな群を観測し、フェニキア人たちは、それを頼りに船を走らせるとしるしている。

 

   

2020年2月20日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第25回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

私を捉えて離さないものは、たぶん恋ではない。きっと愛でもないのだろう。私の抱えている執着の正体が、いったいなんなのかわからない。けれどそんなことは、もうとっくにどうでもよくなっている。しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも。

――角田光代『愛がなんだ』(2006)

 

「私」は「マモちゃん」という男性に心を奪われている。別段カッコいいわけでもなく、「海老」に喩えられるような容姿なのだが、ヒロインは、そんな彼に対する「執着」を抱え込んでいる。

  

「マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と、「どうでもいい」とに」と述懐する彼女の構えは、ほとんどフェティシズムに等しい。「マモちゃん」は、男としての感覚的な価値を超える超感覚的な次元で、あるいは人間的な価値を越える超価値論的次元で、つまりは訳の分からない魅力を発揮するフェティッシュとしてヒロインを呪縛している。それゆえ「私」は常軌を逸して彼に寄り添おうとするのだ。西洋人がもたらす〝ガラクタ〟を手に入れるために黄金を惜しみなくつぎ込む15世紀のアフリカ人たちのように。

  

アーティストにとっては、芸術こそ「マモちゃん」なのかもしれない。引き返すことができないところまで来てしまったアーティストにとって「芸術」なるものは、思うに「しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも」いい何かなのだ。その「何か」を一言でいいあらわせば、フェティッシュとして物象化された芸術であり、ときには苦痛でもあるその呪力に耐えうるならば、ひとはアーティストでありつづけることができる。「マモちゃん」に寄り添うことで自分でありつづけようとする「私」のように。

  

  

2020年1月28日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第23回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

ウィトゲンシュタインは、哲学の古典を組織的に読んだことがなかった。かれは、自分が心から同調できるものしか読むことができなかった。(中略)スピノザ、ヒューム、およびカントについては、ときどき断片的に理解することしかできなかった、とかれは述べている。

――ゲオルク・ヘンリク・フォン・ウリクト/藤本隆志訳「ウィトゲンシュタイン小伝」(1955)

  

西田幾多郎の蔵書には揃っていない全集のたぐい、いわゆる端本が見いだされたという。若年の頃、全集を端から端まで読むことの重要さを教えられ、それなりに意義を認めて、全集読解を心がけてきた者にとって、この逸話はいささか痛い。全集読破は著者の全体を捉え、組織的に理解することに役立つのだが、思うに西田は、そういうことよりも自己にとって必要なものを得るための読書を重視していたのだ。このような構えのまえで、全集読破というのは、いかにもスノビッシュに思われてくる。ましてや、Twitterによる断片的思考の可能性が――鈍感と軽薄の罪をともないながらも――切り拓かれつつあるいま、そうした思いは、いやがうえにも強まらずにはいない。

  

とはいえ断片的思考の力は、Twitterを待ってはじめて発揮されるようになったというわけではない。それは、ソクラテス以前の古代ギリシャの思索家たちの書き残したものにおいて、ひさしいあいだ光輝を放ちつづけてきた。短い命題が連鎖してゆくウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』も――けっして非組織的ではないのだけれど――個々の命題を気ままに拾い読みすることができる。つまり、断片性を享受することができる。断片化したことばのもたらす愉しみは、オブジェのような実在感と、そこにさまざまな文脈を接続できる自由度の高さとにある。

  

ここに引いた「ウィトゲンシュタイン小伝」の著者は、チャールズ・サンダース・パース研究で知られるフィンランドの科学哲学者である。1949年に前立腺癌の診断を受けたウィトゲンシュタインの後任としてケンブリッジ大学に招かれ、1951年にウィトゲンシュタインが没するまで教壇に立った。

  

ちなみに、ウィトゲンシュタインの最期のことばは“Tell them I’ve had a wonderful life.(素晴らしい人生だったと彼らに伝えてください)”だったという。親しい友人たちへの伝言だった。臨終のウィトゲンシュタインは“ a wonderful life”の内実を語ってはいないが、もちろん、それでじゅうぶんだった。末期のことばは、断片たらざるをない。そして、断片的であるがゆえに、その煌めきがひとの心を打つ。

  

  

2019年8月29日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第22回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

一九六八年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に対峙していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。

――加藤周一「言葉と戦車」(1969)

  

1956年2月25日、ソヴィエト連邦共産党第20回大会において共産党第1書記ニキータ・フルシチョフがスターリン体制の実態報告をおこない、粛清や暴政のすさまじさがあきらかにされた。報告は、諸外国の共産党や労働者党を排した秘密会議で行われたのだが、その内容は滲み出るようにして外部に拡がるところとなり、その結果、ソヴィエトが掌握していた国際コミュニズム運動の求心力は低下してゆくことになる。東欧圏では、共産党支配に対抗して民主化を求める運動が展開され、その一環として「プラハの春」と呼ばれる事件が起こった。

  

1968年春に開かれたチェコ-スロヴァキアの共産党中央委員会総会で採択された「行動綱領」には一党独裁体制の是正、市場経済の部分的導入、表現の自由などの項目が盛り込まれ、市民は「二千語宣言」を以てこれに賛意を表明した。パリで「五月革命」の昂揚があり、日本では全共闘運動が最後の光芒を放った年のことだ。

  

ソヴィエトは、こうした民主化の動きを「反革命」の徴候とみなし、これを弾圧するべくワルシャワ条約機構軍をチェコ‐スロヴァキアに侵攻させた。8月20日23時のことである。チェコ‐スロヴァキア全土を制圧した侵攻軍は、国際通話や外信用テレックスなどの国外向けの公的通信手段を封鎖し、情報統制を布いたが、プラハで起こっていることは、アマチュア無線を通じて、またたくまに世界の知るところとなった。

  

当時、音楽祭開催を控えたザルツブルクに滞在していた加藤周一は、8月21日の朝、食事のために訪れたレストランでチェコが非常事態にあることを知る。彼は、音楽祭をキャンセルし、情報収集に有利な首都ウイーンへと急行する。このときの経験に基づいて書かれたのが「言葉と戦車」にほかならない。

  

上に引いたくだりに先立って、加藤は、次のように記している。「言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することはできない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することもできる。しかしプラハ街頭における戦車の存在そのものを正当化することはできないだろう。自分自身を正当化するためには、どうしても言葉を必要とする。すなわち相手を沈黙させるのではなく、反駁しなければならない。言葉に対するには言葉をもってしなければならない」、と。このくだりを読むとき、決まってジョセフ・クーデルカが残した、戦車の兵士を説得しようと必死に語りかける市民たちのすがたが想い浮かぶ。

  

引用部分に続けて加藤は「その場で勝負のつくはずはなかった」としるしているが、加藤のいうとおり「勝負」は先にもちこされた。軍事力によって鎮圧されたものの、民主化の動きは決して終わることはなく、いったん伏流と化してプラハの精神的な通奏低音と化し、21年後の「ビロード革命」においてモルダウのように大きな流れとなって高らかに響き渡ることになる。

                                  

  

2019年7月20日
Top