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摘読録――My favorite words 第49回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

理性の眠りは怪物を生む。

――フランシスコ・デ・ゴヤ、銅版画集『ロス・カプリーチョス』第43番の題詞

 

原文はEl sueño de la razon produce monstruos。意味するところは、理性の不在が怪物を出現させるのだというように理解できる。このように理性の重要性を説いたことばとみるのが一般的な解釈だろうし、ゴヤ自筆の註釈も同様の見解を示している。

 ところが、「眠り」と訳したスペイン語sueño(スエーニョ)には「夢」の意味も含まれる。すなわち「理性の夢が怪物を生む」とも訳し得るわけで、こうなると意味合いが大きく変わってくる。理性の不在が怪物を生むのではなく、理性の見る夢から怪物が出現するという解釈が成り立つわけで、これを踏まえるならば、仮に「理性の眠り」と訳すとしても、それは理性のはたらきの一様態を示すということになる。怪物というのは理性の光につきまとう影、あるいは理性の光が孕む闇と解されるのだ。

 画面に目を向けると、机にうつ伏して眠る画家の姿が左下に描かれており、机の背板には上に引いたことばが大きく、しかし、はかなくうっすらとしるされている。眠りに落ちた画家の背後には羽角[うかく]を立てた梟の群が――蝙蝠らしき影も交えて――迫っている。これらは理性の眠りが出現させる怪物の先触れとみられるが、sueñoを「夢」と解するならば、化物じみた梟や蝙蝠は理性によって夢みられたものだということになる。

 これに関して興味深いのは、梟が知恵の女神ミネルヴァの使わしめであることだ。それゆえヘーゲルは、自身の想い描く哲学を――現実の探究を介して理性的なものの根本に迫ろうとする哲学の在り方を――「ミネルヴァの梟」に譬えてみせもしたのだが、このように思いをめぐらすとき、梟たちの襲来は理性に対する覚醒の促しのようにも見える。眠っている画家の背後の床で、大山猫[リンクス]が、梟の叫喚に首をもたげ耳をそばだて、大きく見開いた目を爛々と輝やせている姿も理性の覚醒を寓しているとみてよいだろう。ヨーロッパでは、古来、大山猫[リンクス]は、対象を鋭く見透かす眼力の持ち主とされてきたのである。

 ここで注意を引くのは、眠れる画家の左側に在って描画用のチョークを画家に差し出している一羽の姿だ。描くことを促しているわけだが、いったい何を描かせようとしているのだろうか。夢から覚めて現実を描けと促しているのだろうか。おそらく、そのように理解するべきなのだろうが、しかし、梟が怪物たちの先触れであるとすれば、化物たちこそ理性の眼を以て描くべき現実なのだと煽っているようにも見える。

 理性の夢から飛び立った梟たちは画家の理性を覚醒へと駆り立てながら、理性の夢から生まれ出る怪物たちの姿を描くよう仕向けている。このように解するとき、この銅版画は理性のアンビヴァランスの表現と見ることができる。みずからの夢と向き合うことが理性に求められているわけで、これは理性における闇と光の相克と言い換えることもできる。あるいはここで、大きく目を見開く大山猫[リンクス]が夜に属する獣であることを、そして、梟が明視と睡眠の表象とみなされてきたことを思い併せてもよいかもしれないが、しかし、それより何より、夜の鳥たちと獣たちの不穏な到来を描いたこの絵が、理性による内なる闇の見事な描写となっていることにこそ思いを致すべきだろう。そもそも『ロス・カプリーチョス』を貫くモテヴェイションには、理性によって抑圧されてきたものたちへのなみなみならぬ関心が窺われるのである。

 ウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーがロシア・ウクライナ戦争の惨禍にみまわれたひとびとからの聞き書きをまとめた『戦争語彙集』(ロバート・キャンベル訳)のなかに、こんなことばをみつけた。

 

「理性の眠りは怪物を生む」とゴヤは言いました。いくつもの意味が考えられそうですが、今、一つを選びだして言うのなら「無理を押してでも、現実に抗[あらが]って考えていなければならない」ということです。

 

キーウ在住のスタスという人のことばである。この一節に先立って「白昼の現実よりわたしの眠りの方がリアルです」「現実は眠っている間に近寄ってくるんです」としるされていて、引用部分に複雑なニュアンスを与えている。

 いくつもの意味が錯綜するようなおもむきなのだが、sueñoを「夢」と捉えるならば、ウクライナのひとびとのおかれている状況が徐々に――あたかも現像液のなかの写真のように――浮かび上がってくるように感じられる。ウクライナのひとびとは、理性の光と理性の孕む闇とが相克する困難な状況におかれているといえるのではないか――そのように思われてくるのだ。

 この状況は、しかし、ウクライナにのみかかわるものではあるまい。ロシアも、アメリカも、極東のわたしたちも、この状況と決して無縁ではありえない。地球の到るところで「理性の夢」が怪物を次々と生みだしている。

 

 

 

フランシス・デ・ゴヤ『ロス・カプリーチョス』:理性の眠りは怪物を生む (1799年) Courtesy National Gallery of Art, Washington

  

2024年2月14日

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摘読録――My favorite words 第48回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

ぼくは「消極的能力[ネガティヴ・ケイパビリティ]」のことを言っているのだが、つまり人が不確実さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる状態のことだ

――ジョン・キーツ/田村栄之助訳 ジョージ及びトマス・キーツ宛書簡(1817)

 

1817年の年末にキーツが二人の弟に宛てて書いた手紙の一節である。negative capabilityという言葉は、現在ではしばしば人生訓や処世訓として持ち出されるが、この言葉ほんらいの焦点は別のところにある。これに先立つくだりには「特に文学において偉大な仕事を達成する人間を形成している特質、シェイクスピアがあれほど厖大に所有していた特質」とあるのだ。この言葉は芸術家の資質を言い表わすために持ち出されたのである。

 ただし、芸術家といっても、これを近代におけるそれに引き付けて捉えるとまちがえる。キーツは、個的な主観に根ざす近代芸術の有りように対して違和を懐いていたからである。この手紙の翌年に、ある手紙のなかで彼は「詩的性格」についてこう書いている。「それはあらゆるものであり、また何ものでもない――それは性格をもっていない」、それゆえ「物事の暗い面を味わっても、明るい面を味わう場合と同様害を生じることがない」、と。negative capabilityを再定義しているわけだが、さらに、これを次のように展開している。原語を丸括弧のなかに記して訳文を引く。

 

詩人というものはこの世に存在するものの中で最も非詩的なものだ、というのは詩人は個体性(Identity)をもたないからだ――詩人は絶えず他の存在の中に入って、それを充たしているのだ――太陽、月、海、それに衝動の動物である男や女は詩的であり、不変の特質を身につけている――詩人にはそれが何もない、個体性がないのだ――(・・・)詩人が自我(self)をもたないとすれば、そしてぼくがその詩人なのだとすれば、それはもはやぼくが詩を書いているのではないと言ってもどこに不思議があるだろうか。(リチャード・ウッドハウス宛 1818年10月27日)

 

キーツは、個体性[アイデンティティ]をもたないこうした詩人の在り方を「カメレオン詩人」という語に集約している。では、カメレオンであることは詩人に、いったいどのような経験をもたらすのだろうか。同時期のある手紙に「雀が窓のそばにくればぼくもその存在の一部となって砂利をつつく」と書かれているのは、それを察するよすがとなる。しばしばキーツを訪れた放心状態は、いわばnegative capabilityの初期設定[デフォルト]であった。

 もうひとつ例を挙げれば、漱石の「草枕」で、語り手の「画工」が詩人や画家について「彼等の楽は物に着するのではない。同化して其物になるのである。其物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ」と言っているのは、「カメレオン詩人」の有りように重なる。これはウィリアム・ワーズワースにまつわる一節なのだが、この詩人はキーツにとってアンビヴァレントながら敬愛すべき先達であり、ワーズワースの「聡明な受身 wise passiveness」(「訓戒と返答」)という発想はあきらかにnegative capabilityに影を落としている。

 キーツの想い描くこのような詩人像は、近代の一般的な芸術家の有りようとは似ても似つかない。それは極言すれば空っぽの人間であり、内面を抱え込む近代の芸術家とは大きく異なる。英詩の近代を体現するキーツには時代の底を踏み抜くような過激さがある。

 個性[パーソナリティ]からの脱却を説くT.S.エリオットの先蹤をそこに見いだすことも可能だけれど、キーツの発想の矢はエリオット以後の現代の最深部にまで届いている。現代芸術の根抵に見出される痩せ[、、]の豊かさ、あるいは否定性によって浮かび上がる可能性――たとえばジョルジュ・バタイユの「非知」、モーリス・ブランショの「無為」や「非人称」、そしてジョルジョ・アガンベンの「非の潜勢力」など――の近くにnegative capabilityのキーツは位置している。

 もしどうしてもnegative capabilityを拠りどころに人生訓や処世訓を語りたいならば、このことを――潜勢的にであれ――踏まえてかかるべきだろう。さもないと、negative capability は絶えずpositive capability へと回送されてしまうであろうから。

 

※[、、]は「痩せ」の傍点。

 

2024年1月12日

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摘読録――My favorite words 第47回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

それらの山々の麓のところで、羊毛のような雲が長くつづいて河の上にかかっていた。私達の下、カフェ河の左岸にひろがっている平原には、私がアフリカにきて以来一度も見たことがなかったほど大きな野獣が多くすんでいた。幾百頭もの水牛と縞馬がひろびろとした空地で草を食べ、木々の下では、威風のある象が堂々たる様子をして物を食べていた。(…)この珍しい光景を、そして鉄砲の数が多くなるにつれて消え失せてゆく運命にあるこの光景を、写真におさめておきたかった。
――デイヴィッド・リヴィングストン/菅原清治訳『アフリカ探検記』(原著1857)

 

少年の日にリヴィングストンの伝記を読んだとき強く印象に残ったのは、アフリカの過酷な風土に踏み込み、道を切り拓いてゆく果敢な探検家の姿だった。奴隷貿易廃絶への意志や医療行為によるヒューマニズムの実践も心に残ったものの、探検家のイメージは、それらをはるかに凌駕していた。アフリカがヨーロッパの植民地支配から脱して、つぎつぎと独立国が誕生していった時期のことである。
 リヴィングストンは1840年にグラスゴーからアフリカへと旅立つ。「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカに西欧近代の光をもたらそうとするプロメテウス的な意志に促されてのことであった。だが、彼を探検へと駆り立てたのは啓蒙の意志ではなく、未踏の風土への憧憬であった。そのことを窺わせるのが、ここに引いた一節だ。アフリカ南部のザンベジ川がカフェ川と分岐するところを目指す道すがら、山の頂で目にした光景をしるし留めたこのくだりには、悠然たるアフリカの風土への讃嘆と慈しみの念が響きわたっている
 リヴィングストンの探検行は、アフリカに関する数々の情報を大英帝国にもたらし、その結果、英国によるアフリカ支配が推し進められることになるのだが、それは、彼の本意ではなかった。リヴィングストンを突き動かしていたのは未知への情動であった。未知なるものを見届けたいという思いであった。その思いもまた大英帝国の枠組みのなかで初めて可能となったといえないこともないとして、しかし、未知への情動はその枠組みの外部への促しでもあったろう。
 本格的に探検に乗り出す契機となったヌガミ湖発見の旅、その途上で塩湖の蜃気楼に出くわすくだりは、彼の未知への情動が感性の悦びに通ずるものであったことを示している。「入日が青色のぼんやりした美しい光で白い塩湖の面を照らしていて、広い塩湖はまさしく湖のように見えた」とリヴィングストンは書いている。「波は踊り、木の影は完全に写し出されて」おり、群れをなす縞馬の姿が、まるで象たちのように見えたと。そして、やがて「もうろうとしている大気の中に裂目のようなものができ、それらの幻影は消え失せてしまった」と。ここには、うつくしいものの生成消滅の刹那性が言外に語られている。
 菅原清治の訳は、原書の半分ほどに切り詰められたもので、改変や要約も行われているということだが、ここに引いたくだりは原書 Missionary Travels and Researches in South Africa と対応している。

 

2023年11月24日改稿

2023年11月15日

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摘読録――My favorite words 第46回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

そうやな、まあものにたとえたら、暗闇にへたつけたような……

――桂米朝「天狗裁き」の枕より

 

初夢を縁起のいい順に数えて「一富士、二鷹、三茄子[なすび]」という。「暗闇にへたつけたような」というのは、正月二日に巨大な茄子の夢を見た男が、その大きさを喩えたものいいである。「へた」は漢字で書くと「蔕」、実と茎を繋ぐ役割をしている部分のことだ。

 米朝は「これが世界で一番大きな噺でございます。こんな雄大なたとえはちょっとないやろうと思いますが……」と言っている。なるほどそのとおりだろうと思うものの、ちょっと考えてみると、この「雄大」さは意外と複雑な仕組みによって成り立っている。

 暗闇に蔕をつけるという場合、暗闇はひとつの塊のように捉えられている。光のなかの事物のように見なされている。だが、もちろんこれは想像上のはなしで、現実には光のもとで闇を見ることなどできるはずがない。闇というのは光の欠如であり、光は見ることの条件だから、闇を見ることは原理的に不可能なのだ。そもそも闇は環境でこそあれ視覚の対象ではありえない。

 見ることのかなわない闇は体験するほかない。闇の体験とは闇に包まれることにほかならない。あるいは、触覚的だといってもよいが、このようにして闇のなかに在るとき、それは果てしないものに感じられる。「雄大」という形容はその体感に由来している。

 もちろん、夜のなかを東へ向かってひたすら歩みを進めれば闇は徐々に陽光のなかに溶け出してゆくはずだし、室内の闇は壁、床、天井によって区切られている。とはいえ深い闇の底にあって、闇に浸りきるとき、たとえそこが室内であったとしても闇は際限のないものに感じられる。そこには空間を示す視覚的な次元が存在しないからだ。広がりの欠落が想像的に無限の広がりへと転化するのである。

 闇に眼を凝らすとき、闇は光のように眼の奥へと急速に入り込んで身体を満たす。しかし、それもつかのま闇は皮膚から滲み出るようにして外部の闇に溶け込んでゆく。皮膚に包まれた身内の闇が溶け出して、皮膚は有るか無きかの薄膜と化する。このとき、ひとは闇と対面しながら闇に浸り、闇に溶け出しながら闇に浸透されている。闇は開かれつつ閉ざされている。これが闇の体験である。

 米朝のいう「雄大」の感覚は、内と外、開放と閉塞のこうした二重性に由来している。複雑な仕組みと言うゆえんだ。

 それにしても、なぜ「なすび」の夢が縁起がよいとされるのか。一説には「成す」に通ずるからだというが真偽のほどは分からない。しかし、開かれながら閉ざされるという矛盾をはらむ経験が闇において成り立つのは否めない。その意味で「成す」説は一抹のリアリティを帯びる。

 

※引用は『米朝落語全集』増補改訂版第5巻(創元社、2014)による。

 

  

2023年9月25日改稿

2023年9月6日

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摘読録――My favorite words 第45回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

むかし此の頃の事どもも人に欺かれしを、我又いつはりとしらで人をあざむく。よしやよし、寓[そら]ごとかたりつづけて、ふみとおしいただかする人もあればとて、物いひつづくれば、猶[なお]春さめはふるふる。

――上田秋成『春雨物語』序(1808‐1809)

 

なるようになれと思い決めて嘘っぱちを書きつづければ、春雨が降るわ降るわ――かつて、ものを書くとはこういうことだと教えてくれるひとがあった。しかも、そのひとは、評論の書法にかんして、このことばを引いたのだった。こちらとしては虚を衝かれた思いだった。評論が嘘っぱちであって良いわけがないからである。しかし、相手は手だれの、しかも年長の文芸評論家であったから、単純にお門違いと責めるわけにもいかない。では、これをどう解釈すればよいのだろうか。口に出すことはしなかったけれど、そのとき頭にあったのは、こんな考えだった。評論が嘘っぱちであってはたまらないけれど、この秋成のことばを、ものを書く事が不可避的にはらんでしまう嘘について語ったものと解すればどうだろう・・・・。

 

 

『春雨物語』は歴史物語を柱とする作品集であるから、ここに引いた序のくだりは物語と歴史叙述の境界の曖昧さについて述べているとみるのが妥当だとしても、他人の言にだまされた自分が、それを偽りと知らずに他人に伝え、意図せずして他人を欺くという冒頭のくだりは、歴史叙述一般にかんする意見として読むことができる。

 嘘っぱちを書き並べておきながら、真っ当な書物としてありがたがらせる人物もあるのだから、というくだりは皮肉にすぎないとしても、史にかんする秋成の洞察は鋭い。歴史研究に携わってきた者として身につまされるところがある。史料が信ずるに足るものかどうか、これを判断するいわゆる史料批判は歴史研究の死命を決する重大事であるからだ。

 とはいえ、ことは史料批判にのみかかわるわけではない。それどころか、このくだりは秋成一流のソフィストケーションと読むこともできる。『春雨物語』に収められた諸篇は、歴史物語の体裁をとりつつ、そこからの離脱を企んでいるからだ。史書を踏まえつつ、しかし、「作者の思ひ寄する所」(「ぬば玉の巻」)を際立たせようとしているのである。秋成は、そのために虚構ということばの権能を行使している。そして、その権能は、また、ことばの宿痾でもある。真実を語ったつもりなのに言葉が虚妄の綾を出現させてしまうという経験は珍しいことではないし、虚言のなかに一抹の真実が含まれているというのも、しばしば経験するところだろう。

 こうして、冒頭の一節は、歴史がことばによってしるされるという事実がはらむ問題へと思いをいざなう。文章を書くことの落とし穴、すなわち、表現しようとする何かを完璧に言い表わすことの困難ゆえに文章がはらむかもしれない嘘へと思い至らせずにはいない。

 

 

書くことが嘘をはらんでしまうことを鋭敏に自覚しつつ、しかし、その自覚を抱いたまま敢えて書くことを始めるにはどうすればよいのか。「よしやよし」というのが秋成の答えであった。すなわち、なるようになれ――という気合である。

 序の書き出しは「はるさめけふ幾日[いくか]、しずかにておもしろ」であり、春雨が幾日も静かに降りつづく短歌的抒情性に充ちた情景を書きとめているのだが、「春さめはふるふる」という独特な表現は、それと決定的に異なる語感を響かせている。そこには、せき立てるような雨音に重なる捨て鉢ともいえる気分がある。ためらいや呵責からの飛躍がある。見る前に跳ぶ蛮勇といってもいい。「よしやよし」という気合が、この印象的な言葉を呼び起こしたのだ。この気合には諦念の響きがこもっている。

 秋成が草稿類を庭の古井戸にまとめて放棄したことはよく知られているが、この行為もまた「よしやよし」という気合にかかわる。ひたすら書きつづけ、書き溜めたものを井戸に投げ込むというこの奇矯な行動は、読者を想定することなく書き続ける実践、純粋なエクリチュールへの没入を思わせずにおかない。書くことへのひたむきな欲望が、ことばの宿痾に由来する後ろめたさを追い越しつつ筆尖を突き動かし、あるいは、吸い込むように筆尖を引き寄せる。

 

 

あのとき、くだんの評論家は皮肉そうな笑みを浮かべたまま黙り込んでいたが、『春雨物語』の序に評論の作法を見いだす指摘は、乱暴ともお門違いともみえて、じつは書くことへの繊細な、それゆえ先鋭な構えを教えていたのだと、ここまで書いてきて、はじめて腑に落ちた気がする。あれは独善と鈍感を排する書くことのリアリズムの教えであったのだ、と。

 

2023年4月17日

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摘読録――My favorite words 第44回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

この考へる水も永劫には流れない

永劫の或時にひからびる

ああかけすが鳴いてやかましい

――西脇順三郎「旅人かへらず」(1947)

   

古びたゼンマイを巻くようなカケスの声。そのイメージが引き起こす唐突な転調。

  

この切断はシュルレアリスムのディペイズマンを思わせるが、それは俳句における「取り合わせ」を思わせもする。「取り合わせ」の魅力は、意味やイメージや音を程よく調和させることではなく、むしろ、異和によって詩的空間を立ち上がらせる点にこそあるのだ。

  

あるいは、ここから俳句における和文脈と漢文脈の結合に思いを馳せることもできる。ビー玉をぶつけ合うような孤立語(漢文)の乾いた詩法を、膠着語(和文)の纏綿たる抒情に挿入する俳諧的やり方で、西脇順三郎は日本の詩に君臨する短歌的抒情にハレーションを引き起こし、それによって、古典的語法をモダニズムへと一挙に転位させたのである。

  

エズラ・パウンドが西脇の英語の詩を褒め称えたのは、西脇の詩に、こうした俳諧の妙味を感じ取ったからだったのかもしれない。パウンドは漢詩や俳句に関心を抱き、フェノロサの漢字論の編纂も手掛けているのである。

  

「旅人かへらず」にみられる切断の発想は西脇の詩法全般に通底している。自身の詩法について述べた「あむばるわりあ」のあとがきの一節を引く。

  

一定のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取去つたり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へるのである。

  

つづく一節で西脇は、経験世界に変化を引き起こす詩のメカニズムを「小さい水車」に喩えて、こんなふうに言い換えている。この水車の力によって経験世界にかすかな「間隙」が生じ、それを通して「永遠の無量なる神秘的なる世界を一瞬なりとも感じ得る」のだ、と。この「小さい水車」に回転をもたらすのが「考へる水」であることはいうまでもない。

  

 

2023年3月22日改稿

2023年3月9日

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摘読録ーーMy favorite words 第43回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

もしもわれわれが支配者を選ぶときに、候補者の政治綱領ではなく読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなることでしょう。

――ヨシフ・ブロツキイ/沼野充義訳『私人』(1996)

  

スタンダールやディケンズやドストエフスキイについて、選挙の候補者にまず尋ねてみるべきだとブロツキイはいう。そして、その理由を「少なくとも、ディケンズの小説をたくさん読み耽った者にとって、いかなる理想のためであれ自分と同じ人間を撃ち殺すことは、ディケンズを読んだことのない者にとってよりも難しいだろう」と要約している。

  

ブロツキイにとって、文学作品を読むということは、たった一人で作者と対等に向かい合う「私的な会話」であり、こうした読書体験は、やがて個人の行動を規定せずにおかない。そのようにして、人びとは文学作品を「演奏」するのだ、とブロツキイはいう。こうした考え方の根柢には、美と善をひとつにみようとするカロカガティア(善美)の発想がある。

  

23才のブロツキイは旧ソヴィエト連邦で、定職もなくごろごろしている「徒食者」として逮捕され、裁判にかけられた。1963年のことだ。そのときの裁判記録には、裁判官とのこんなやりとりが記録されている。沼野充義による訳者「解説」から引く。

  

裁判官「いったい、あなたの職業は何なんです?」

ブロツキイ「詩人です。詩人で、翻訳もします」

裁判官「誰があなたを詩人と認めたんです?誰があなたを詩人の一人に加えたんです?」

ブロツキイ「誰も」(挑戦的な態度ではなく)「じゃあ、誰がぼくを人間の一人に加えたっていうんです?」

  

ここにも人間として生きることと文学とをひとつにみようとする構えが見いだされる。これがカロカガティアを踏まえた構えであることはいうまでもあるまい。

  

『私人』はノーベル文学賞受賞記念講演の記録。

  

2022年7月6日

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摘読録ーーMy favorite words 第42回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

君は、君の行動原理が同時に普遍的な法則となることを欲することができるような行動原理だけにしたがって行為せよ

――イマヌエル・カント/中山元訳『道徳形而上学の基礎づけ』(1785)

 

「道徳」という語は手垢にまみれている。手垢にまみれているのは、それが扱いやすいからだ。扱いやすいのは、種々雑多な感情や心的傾向に馴染むからである。つまり、ご都合主義的な利便性をもつわけだ。カントは、こうした通俗道徳を、みずからが探究する「道徳」と峻別しようと企てた。理性から無条件に発せられる至上命令、カントにとってはそれこそが道徳であった。

 

そのためにカントは、俗に「道徳」と称されるものの道徳としての資格をチェックする方式を探究した。その探究の最初の成果が『道徳形而上学の基礎づけ』であり、そこでカントは、道徳的な行いの在り方を冒頭のことばのように規定してみせたのだった。いつでも、どこでも、誰にでも――あたかも自然法則のように――当てはまることを欲しうる、そのような行動原理のみにしたがって行為するならば、その行為は善き行いであって、「道徳」の名にあたいするというわけである。

 

カントは「寛容」「慈悲」「正直」「誠実」などの徳目を数え上げることをしていない。ここに引いたカントのことばは、こうした徳目が、ほんとうに「道徳」の名にあたいするかどうかをチェックする方式を示しているだけだ。いいかえれば形式だけがあって内容がない。だから、道徳論としては物足りない思いを抱くかもしれないけれど、具体的な徳目が民族や国家や時代のバイアスによって制約されがちであることを思うとき、また、鼻持ちならない通俗道徳を押し返すうえで、この方式は、がぜん重要性を帯びてくる。道徳性のチェックは「道徳の清算」(ニーチェ)でもありうるのだ。

 

 

いうまでもなく善き行いは自発的なものでなければ意義をもたない。「欲する」という言葉には、そのような意味合いが感じられる。自発的ということは、見せかけではないということを含意している。見せかけでないとは、善き行いが何事かの手段ではないということ、踏み込んでいえば、善き行いそのものが目標として目指されているということだ。

 

「普遍的」というのは、誰にでも当てはまるということだから、カントの方式は他者の存在を前提としている。すなわち、他者との相互性が想定されている。自己の「行動原理」が「普遍的」であるならば、同じ「行動原理」に拠る他者の行動が自己に差し向けられることを受け容れなければならないわけである。

 

こうした相互性を成り立たせるためには――あるいは、相互性を成立たせてゆく過程においては――自己愛にまみれた独善を排する努力が必要となる。いいかえれば、他者への責任と共感にもとづく社会的な想像力の行使が要請される。すなわち、想像の力を借りた普遍化が求められる。カントのいう「理性」にはキリスト教の神の影が感じられるが、一神教になじみのうすい地域や時代において道徳を探究するには、とりあえず、こうしたスタンスをとるほかない。

 

 

自己の「行動原理」を普遍化するということは、自省をともなう社会的拡張過程にほかならず、その過程で幾多の他者たちが普遍性の試金石として呼び出されることになる。顔を想いうかべることのできる身近な存在から、姿も定かならぬ抽象的存在に至るグラデーションのなかから、さまざまな他者を訪ね歩くようにして普遍化の企ては進行してゆく。この過程は、いささか推敲の過程に似ている。

 

カントの表現は厳密さを期するあまり、まわりくどく分かりにくい。しかし、たとえ即座に理解できないとしても、なんとか理解しようとあれこれ考えをめぐらせるならば、カントの想い描く道徳へと徐々に接近することができるにちがいない。あるいは、こういってもよい。この模索が道徳性を喚起し、自己の「行動原理」に対する反省を促すのだ、と。自省的に普遍化を探究することは、自己の「行動原理」を批判的に修正してゆくことでもあるだろう。

 

「普遍的」であろうとして模索をつづける構えと「行動原理」にかんする反省の重要さは、アイヒマンがイェルサレムにおける裁判で、自分はカントの道徳の格率に則って生きてきたと証言したことに見てとることができる。普遍化の努力と反省のないところではチェック機能は空転するほかなく、その結果、独善性がまかりとおることにもなるのだ。

 

2022年6月22日

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摘読録ーーMy favorite words 第41回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

我れ其れ風と為[な]らん哉

――中江兆民『三酔人経綸問答』(1887)

 

『三酔人経綸[けいりん]問答』は三人の酔っ払いが国家の有りようについて語り合うという意味である。大の酒好きだった中江兆民に如何にもふさわしい題名だ。

 

ある日、「南海先生」のもとを訪れた「洋学紳士」と「豪傑君」が議論する趣向で政治談議が展開してゆく。簡単にいえば「洋学紳士」は民主主義を標榜するリベラル派であり、「豪傑君」は侵略主義のスタンスをとる。「南海先生」は両者のあいだにあってリアリズムの立場から仲をとりもつ。

 

この三人は兆民の内なる会話者であって、兆民の思想のダイナミズムを示している。背景となっているのは19世紀末、弱肉強食の帝国主義の時代だ。

 

  

「洋学紳士」は日本社会における「左翼」の原型とも目される人物で、徹底した非戦論の立場から国家の在り方を説いて倦むことがない。たとえば、彼は「自由を以て軍隊と為し、艦隊と為し、平等を以て堡塞[ほうさい]と為し、友愛を以て剣砲[けんぽう]と為すときは、天下豈[あに]当る者有らん哉[や]」という。自由、平等、友愛という大革命期フランスのスローガンを以て防備を固めれば、敵するものがあるだろうかというわけだ。理念を以て武器にかえる発想は、非戦論の極致を示している。

 

だが、この論はかなり浮世離れしてみえる。まんがいち侵略されたときはどうすればよいのかという問いがしぜんと浮かんでくる。「我れ其れ風と為[な]らん哉」は、それに対する彼の答えである。軍備撤廃に付け込んで侵略してくる者があったら、武器を手にせず、一発の弾丸も持たず、礼儀正しく侵略者を迎え入れればいい。そのとき彼らに為す術があるだろうか。「剣を揮ふて風を斬らんに、剣如何に鋭利なるも、風の飄忽茫漠[ひょうこつぼうばく]たるを奈何[いかん]せん」というのだ。わたし(たち)は風になろうではないか、と。

  

こうした考えの根柢にあるのは人間存在の普遍性への信頼であった。紳士は、だから「我れ今日[こんにち]甲の国に居る、故に甲国人なり。我れ明日乙の国に居れば、又乙国人ならんのみ。大劫会[だいごうえ]の期[き]未だ至らずして、我[わが]人類の故郷たる地球猶[な]ほ生活する間は、世界万国、皆我[わが]宅地に非ず乎[や]」というのである。「大劫会」すなわち世界の終末が到来せず、地球が生きてあるあいだは、国境を越えて大地はすべて人間の棲家たりうるというわけだ。

 

  

ウクライナ戦争の現実を思い併せると、「洋学紳士」の主張は取るに足らない理想論にみえる。彼も、このくだりを後段において「弾[たま]を受けて死せんのみ。別に繆巧[びゅうこう]の策[さく]有るに非ざるなり」とパラフレーズしている。

 

しかし、その主張は、同じウクライナ戦争によって力強い現実性を帯びもするのではないだろうか。ウクライナ戦争を介して核ミサイルによる第三次世界大戦の危機に直面している現在、防衛すべき対象は個々の国家などでは、もはやありえないからである。

 

地球のどこかで大規模な核戦争が起こったら、地球は膨大な煤煙に包まれ、大気はブラックカーボンによって汚染される。太陽光がこれによって遮断されるため平均気温は氷河期並みにまで下がり、降雨量も激減する。気温と降雨量が現状に復するまでには、かなりの年月を要する。

 

核戦争後の世界では、したがって農耕が困難を極めることになる。飢餓が全土に広がり、カニヴァリズムが横行するのは必定だ。しかも、放射線による病魔が絶えまなく人間を蝕んでゆく。「大劫会」の到来である。

 

このような状況にあって、核シェルターがいったい何の役にたつだろうか。それは苦痛を長引かせ死期をわずかに先延ばしにするものでしかありえまい。

 

  

ではどうすればよいのか。核戦争に至り着かない工夫をするほかない。

 

「洋学紳士」は、こうも言っていた。

 

僕の意に於て、我邦人が一兵[いっぺい]を持[じ]せず一弾[いちだん]を帯びずして、敵寇[てきこう]の手に斃[たお]れんことを望むは、全国民を化して一種生きたる道徳と為して、後来[こうらい]社会の模範を垂れしむるが為めなり。

 

武器も銃弾も持たずに、侵略者に殺されることを敢えて望むのは、全国民を生きた道徳として未来の手本としたいからだというのだが、このどうしようもない理想主義は、核戦争後の人類の境遇に照らすとき、不思議なリアリティを帯びてきはしないだろうか。護られるべきはこの地球であり、人間の集団なのだ。

 

最後にもうひとつ「洋学紳士」のことばを引いておこう。語釈は省く。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を思い出してもらえば、それで充分だと思うので。

 

頭上唯[ただ]青空あるのみ、脚下[きゃっか]唯大地あるのみ。心胸[しんきょう]爽然[そうぜん]として、意気闊然[かつぜん]たり。唯永劫を永[なが]しとして、前後幾億々年所[ねんしょ]なるを知らず。始[はじめ]なく終[おわり]なければなり。唯大虚[たいきょ]を大[だい]なりとして、左右幾億々里程[りてい]なるを知らず。外なく内なければなり。

 

ジョンとヨーコの “Love & Peace”という能天気ともみえるスローガンは、「核抑止」信仰の愚劣さと釣り合っている。

 

 

  

※末尾の引用文にある「闊」は、原文ではサンズイを付す異体字。

 

 

2022年6月8日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録ーーMy favorite words 第40回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

おまえとこの世の戦いにおいては、この世に肩入れをせよ。

――フランツ・カフカ/池内紀訳「アフォリズム集成」(1918)

 

「この世」とは人間が生きる場というほどの意味である。場というのは、たんなる物理的空間ではない。そこでは、人と人、人と物、人と事、物と物、事と事とが、人間のさまざまな行為を介してかかわりあい、それによって複雑な意味連関を形成している。そういう入り組んだ生の場、それが「この世」であり、人間は、そこを離れては生きていけない。というより、人間でありつづけることができない。マルティン・ハイデガーは『存在と時間』のなかで、こうした人間の在り方を「世界-内-存在」と呼んだ。カフカの死と相前後する時期のことである。

 

カフカが書き残したこの逆説は、人間と世界のこうしたかかわりを踏まえるならば、比較的たやすく読み解くことができる。自分が戦う当の相手である世界に自分自身が取り込まれているのだから、戦い続ける自分であるためには、けっきょくのところ世界に味方するほかないという理屈である。

 

ただし、この理解は、あまりにも形式的すぎる。ここで目を凝らすべきなのは、こうした窮余の事態そのものだろう。世界に生を託すほかない存在が、その世界に異和をかもすところから、この不条理な事態は生じているのだ。はじめは、ほんの小さな傷のようなものだった異和が罅となり裂け目となって、世界との確執が深まり、拡がってゆく。疎隔感や息苦しさにふと気づくところから始まり、やがて堪えがたい痛苦の感覚が襲ってくるのである。

 

この痛みは意識の切っ先によってもたらされる。意識は、つねに何ものかへの意識であり、その意識の尖端が世界に差し向けられるとき疎隔感が生まれ、その疎隔感が世界と自己のかかわりの息苦しさに気づかせるのだ。しかも、世界と自己の裂け目は、「世界-内-存在」としての自己を介して世界にも――たとえば近親者のあいだに――痛みをもたらさずにはいない。

 

だが、世界との戦いにおいて世界に味方するというのは、「戦い」をやめることではない。世界を傷つけるのをやめるということではない。人間が意識をもつかぎり、それは不可能だ。「この世に肩入れをせよ」というのは、意識がいやおうなく世界に残す傷を、そのつど癒すということなのだ。

 

傷は致命傷でないかぎり治癒してゆく。積極的な治療が試みられ、自己治癒力もはたらく。そうしなければ世界に膿がまわりかねないし、自己が肉片のように世界から切り捨てられることにもなりかねない。

 

このようにして、ひとはいやおうなく世界に「肩入れ」することになるのだが、しかし、そこには傷痕がのこる。線維組織が盛り上がった瘢痕[はんこん]が出現する。傷の治癒によって世界は傷痕を印づけられ、それによってわずかながら姿を変える。わずかとはいえ傷は「この世」に生まれ死んでいった人間たちの意識の痕跡だから、その数ははかりしれない。世界は数えきれない傷痕と未だ癒えざる無数の傷とに覆われている。

 

このアフォリズムは手稿を見ると全文が鉛筆で抹消されているという。カフカは、逆説的なやり方で傷を癒そうとしたのにちがいない。

 

 

2022年5月12日
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