先生の本棚から

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第8回

女子美術大学図書館 前館長 北澤憲昭

  

戦争はいたるところに在る。戦争があるとき、それはつまり何ものかが出現しつつあるということだ。

――ル・クレジオ/豊崎光一訳『戦争』(1970)

  

1968年パリの5月革命の2年後、反戦運動が盛り上がり、ヴェトナム戦線からアメリカ軍が撤退を開始する2年前にあたる当時の状況が、「戦争」というタイトルに影を落としているのはまちがいない。引用部分につづけて、ル・クレジオはこう書いている。「噴火山があちこちの広場のまん中にもち上り、道路の数々が口を開け、そして割れ目の奥から、溶岩や、熱気や、エネルギーが迸る。海は崖の足下に沸き立ち、響き高い洞窟を掘りさぐる。蒸気が、電気が、雲が、稲妻がある」、と。ル・クレジオの戦争のイメージには天地創造のイメージが重なっている。あるいは、破壊と創造とをつかさどるシヴァ神へと想いを運ぶ。

  

本書の最後には19枚の写真が掲載されている。スーパーマーケットの一角や、車のライト、中空[なかぞら]を行く飛行機・・・・・などの写真だが、1970年当時の文芸界にあって、このような試みは、とても新鮮だった。ソフィ・カルの『ヴェネツィア組曲』の10年前、ジョナサン・サフラン・フォアの『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が刊行される35年前のことだ。

  

どの写真もクールで、寡黙でありながら、身体にまつわる位置感覚を湛えるスナップショットの魅力にあふれていた。蒸気も、電気も、稲妻もない世界が、無傷なままに、それゆえ無気味に映しだされていた。

  

ル・クレジオは、あるインタヴューで、何千枚もの写真を撮りながら『戦争』を書いたのだと明かし、いくつかの章は街中で書いたとさえ言っている。写真は、自分が「そこ」にいたという確認であり、証明でもあるのだ、と。空の高みを行く飛行機は、わたし(たち)の眼を作者の眼へと重ね合わせ、読者を「そこ」へともたらさずにはいない。

  

マダラ状に広がる戦場のなかから、大規模な戦争があらたに開始されそうな予感の漲るこの時代の風が、この本を、書庫からぼくの机の上に運んできた。

  

  

2017年4月21日
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