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摘読録――My favorite words 第13回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

人間は 、事物を結合する存在であり 、同時にまた、つねに分離しないではいられない存在であり 、かつまた分離することなしには結合することのできない存在だ 。

――ゲオルク・ジンメル/鈴木直訳「橋と扉」(1909)

  

「分離することなしには結合することのできない存在」というのは、人間が、世界を言葉によって――たとえばリンゴは「リンゴ」、キャベツは「キャベツ」、ナシは「ナシ」というように――あらかじめ分節して捉えているということを念頭におくと分かりやすい。

  

ここに引いた言葉の前の方に、ジンメルは、次のように書いている。「自然の事物があるがままに存在しているなかから、私たちがある二つのものを取り出し、それらを「たがいに分離した」ものと見なすとしよう。じつは、そのとき、すでに私たちは両者を意識のなかで結びつけ、両者のあいだに介在しているものから両者をともに浮き立たせる、という操作を行っているのだ」、と。

  

リンゴとナシを比べるとき、ぼくらは、キャベツを差し置いて、リンゴとナシだけを取り出す。つまり、まず、果実としての類似性に着目して両者を結びつける。そして、おもむろに両者の違いを数え上げる。すなわち、分離しようとする。

  

「橋と扉」というタイトルに即していえば、分離という意識なくして「橋」の必要を感じることはないが、しかし、逆に橋の存在が分離の意識を際立たせることもある。逸る気持ちで遠くの橋まで足を運ぶような場合だ。閉ざされた「扉」は分離の感覚を切なく喚起しつつ、まさにそれゆえに、手をノブへといざなう。

  

「分離」と「結合」は、分析と総合と置き換えて理解するのが穏当であるとして、しかし、それは諍[いさか]いと和解、別れと出会いなど人倫的な事柄に置きかえて捉え返すこともできるだろう。

  

  

2017年10月20日
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