先生の本棚から

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第25回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

   

 私を捉えて離さないものは、たぶん恋ではない。きっと愛でもないのだろう。私の抱えている執着の正体が、いったいなんなのかわからない。けれどそんなことは、もうとっくにどうでもよくなっている。しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも。

――角田光代『愛がなんだ』(2006)

  

「私」は「マモちゃん」という男性に心を奪われている。別段カッコいいわけでもなく、「海老」に喩えられるような容姿なのだが、ヒロインは、そんな彼に対する「執着」を抱え込んでいる。☆ 「マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と、「どうでもいい」とに」と述懐する彼女の構えは、ほとんどフェティシズムに等しい。「マモちゃん」は、男としての感覚的な価値を超える超感覚的な次元で、つまり、フェティッシュとしてヒロインを呪縛している。それゆえ「私」は常軌を逸して彼に寄り添おうとするのだ。西洋人がもたらす〝ガラクタ〟を手に入れるために黄金をつぎ込む15世紀のアフリカ人たちのように。☆ アーティストにとっては、芸術こそ「マモちゃん」なのかもしれない。引き返すことができないところまで来てしまったアーティストにとって「芸術」なるものは、思うに「しょう油とんこつでも味噌コーンでも、純粋でも不純でも」いい何かなのだ。その「何か」を一言でいいあらわせば、フェティッシュとして物象化された芸術であり、ときには苦痛でもあるその呪力に耐えうるならば、ひとはアーティストでありつづけることができる。「マモちゃん」に寄り添うことで自分でありつづけようとする「私」のように。

  

2020年1月28日
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