先生の本棚から

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第16回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

歴史とは、ぼくが、そこから目覚めようとしている悪夢だ。
――ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(1922)より

 

※ 原文は“History is a nightmare from which I am trying to awake.”主人公スティーヴン・ディーダラスは『若き芸術家の肖像』の主人公でもあり、ジョイス自身がモデルとなっている。『ユリシーズ』で、スティーヴンは私立学校の歴史教師をしている。ここに引いたことばは、その学校の校長との会話のなかにあらわれる。☆ ジョイスは出身地アイルランドの歴史にたいする重苦しい思いから、このことばをしるしたものと考えられるが、言語もまた歴史的存在であることを思うならば、人間の精神は、その成り立ちから「悪夢」に取り憑かれているというほかない。『ドイツ・イデオロギー』から引く。「「精神」はそもそもの初めから物質に「取り懸かれて」いるという呪いを負っており、ここでは物質は運動する空気層、音、要するに言語という形で表れる。言語は意識と同い年である。」(廣松渉編訳・小林昌人補訳)☆ 音楽や美術に携わるひとびとは、しばしば、言語の外なる世界を求める。しかし、それを求めさせるのは、言語とともに歴史を背負い込んできた精神にほかならない。言語の外部もまた言語的かつ歴史的に規定されている。もちろん、言語の裂け目は至る所に見い出されるものの――あたかも透視図法において、物体と空虚とが、共に等質的な体系的空間に属しているように――その裂け目も言語に属していることに変わりはない。☆ 「悪夢」から覚めるためには死の時をまつほかない。出口はこの身体。そのチャンスは、ただの一度だけだ。

 

2018年9月25日
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