女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭
我れ其れ風と為[な]らん哉
――中江兆民『三酔人経綸問答』(1887)
『三酔人経綸[けいりん]問答』は三人の酔っ払いが国家の有りようについて語り合うという意味である。大の酒好きだった中江兆民に如何にもふさわしい題名だ。
ある日、「南海先生」のもとを訪れた「洋学紳士」と「豪傑君」が議論する趣向で政治談議が展開してゆく。簡単にいえば「洋学紳士」は民主主義を標榜するリベラル派であり、「豪傑君」は侵略主義のスタンスをとる。「南海先生」は両者のあいだにあってリアリズムの立場から仲をとりもつ。
この三人は兆民の内なる会話者であって、兆民の思想のダイナミズムを示している。背景となっているのは19世紀末、弱肉強食の帝国主義の時代だ。
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「洋学紳士」は日本社会における「左翼」の原型とも目される人物で、徹底した非戦論の立場から国家の在り方を説いて倦むことがない。たとえば、彼は「自由を以て軍隊と為し、艦隊と為し、平等を以て堡塞[ほうさい]と為し、友愛を以て剣砲[けんぽう]と為すときは、天下豈[あに]当る者有らん哉[や]」という。自由、平等、友愛という大革命期フランスのスローガンを以て防備を固めれば、敵するものがあるだろうかというわけだ。理念を以て武器にかえる発想は、非戦論の極致を示している。
だが、この論はかなり浮世離れしてみえる。まんがいち侵略されたときはどうすればよいのかという問いがしぜんと浮かんでくる。「我れ其れ風と為[な]らん哉」は、それに対する彼の答えである。軍備撤廃に付け込んで侵略してくる者があったら、武器を手にせず、一発の弾丸も持たず、礼儀正しく侵略者を迎え入れればいい。そのとき彼らに為す術があるだろうか。「剣を揮ふて風を斬らんに、剣如何に鋭利なるも、風の飄忽茫漠[ひょうこつぼうばく]たるを奈何[いかん]せん」というのだ。わたし(たち)は風になろうではないか、と。
こうした考えの根柢にあるのは人間存在の普遍性への信頼であった。紳士は、だから「我れ今日[こんにち]甲の国に居る、故に甲国人なり。我れ明日乙の国に居れば、又乙国人ならんのみ。大劫会[だいごうえ]の期[き]未だ至らずして、我[わが]人類の故郷たる地球猶[な]ほ生活する間は、世界万国、皆我[わが]宅地に非ず乎[や]」というのである。「大劫会」すなわち世界の終末が到来せず、地球が生きてあるあいだは、国境を越えて大地はすべて人間の棲家たりうるというわけだ。
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ウクライナ戦争の現実を思い併せると、「洋学紳士」の主張は取るに足らない理想論にみえる。彼も、このくだりを後段において「弾[たま]を受けて死せんのみ。別に繆巧[びゅうこう]の策[さく]有るに非ざるなり」とパラフレーズしている。
しかし、その主張は、同じウクライナ戦争によって力強い現実性を帯びもするのではないだろうか。ウクライナ戦争を介して核ミサイルによる第三次世界大戦の危機に直面している現在、防衛すべき対象は個々の国家などでは、もはやありえないからである。
地球のどこかで大規模な核戦争が起こったら、地球は膨大な煤煙に包まれ、大気はブラックカーボンによって汚染される。太陽光がこれによって遮断されるため平均気温は氷河期並みにまで下がり、降雨量も激減する。気温と降雨量が現状に復するまでには、かなりの年月を要する。
核戦争後の世界では、したがって農耕が困難を極めることになる。飢餓が全土に広がり、カニヴァリズムが横行するのは必定だ。しかも、放射線による病魔が絶えまなく人間を蝕んでゆく。「大劫会」の到来である。
このような状況にあって、核シェルターがいったい何の役にたつだろうか。それは苦痛を長引かせ死期をわずかに先延ばしにするものでしかありえまい。
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ではどうすればよいのか。核戦争に至り着かない工夫をするほかない。
「洋学紳士」は、こうも言っていた。
僕の意に於て、我邦人が一兵[いっぺい]を持[じ]せず一弾[いちだん]を帯びずして、敵寇[てきこう]の手に斃[たお]れんことを望むは、全国民を化して一種生きたる道徳と為して、後来[こうらい]社会の模範を垂れしむるが為めなり。
武器も銃弾も持たずに、侵略者に殺されることを敢えて望むのは、全国民を生きた道徳として未来の手本としたいからだというのだが、このどうしようもない理想主義は、核戦争後の人類の境遇に照らすとき、不思議なリアリティを帯びてきはしないだろうか。護られるべきはこの地球であり、人間の集団なのだ。
最後にもうひとつ「洋学紳士」のことばを引いておこう。語釈は省く。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を思い出してもらえば、それで充分だと思うので。
頭上唯[ただ]青空あるのみ、脚下[きゃっか]唯大地あるのみ。心胸[しんきょう]爽然[そうぜん]として、意気闊然[かつぜん]たり。唯永劫を永[なが]しとして、前後幾億々年所[ねんしょ]なるを知らず。始[はじめ]なく終[おわり]なければなり。唯大虚[たいきょ]を大[だい]なりとして、左右幾億々里程[りてい]なるを知らず。外なく内なければなり。
ジョンとヨーコの “Love & Peace”という能天気ともみえるスローガンは、「核抑止」信仰の愚劣さと釣り合っている。
※末尾の引用文にある「闊」は、原文ではサンズイを付す異体字。
2022年6月8日