芸術表象専攻/芸術文化専攻 教授 北澤憲昭
新しいものは常に謀叛である。
――徳冨蘆花/中野好夫校訂「謀叛論(草稿)」(1911)
第一高等学校で行った大逆事件をめぐる講演のなかのことば。徳富蘆花は、この一節に続けて、「我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ」と述べている。蘆花にとって大逆事件は、たんなる政治的事件ではなかった。「謀叛」とは、彼にとって「生」の在り方そのものだったのである。
サルトルは、かつて実存主義の〝教義〟を「実存は本質に先立つ」と要約してみせたが、蘆花の主張するところは、これと近い。実存と本質のイタチゴッコにおいて、常に実存が本質を出し抜くのだとすれば、実存としての生は本質に対する絶えざる「謀叛」とみなしうるはずであるからだ。
政治的ポーズにすぎない安楽な「謀反」は、いつの世においてもありふれている。しかし、「謀反」であるような生を生きる者は決して多くはない。