女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭
青山元不動
白雲自去来
――『禅林句集』
数日前の午前のこと、散歩をしている道すがら、とある邸宅の広やかな前庭に、円柱が二本ならんでいるのが目にとまった。ひとの背丈を越える大きさだ。いくどか通ったことのある場所なのだが、それまで気づかなかったのは庭の奥処に立てられているせいだろう。白く輝くそのすがたが目をとらえたのは、初夏とは思われない強い日差しのせいだったのにちがいない。
目を凝らすと、円柱には、草体で漢字が刻まれていた。右の柱には「青山元不動」、左に「白雲自去来」とある。禅宗の教義にまつわるアンソロジー『禅林句集』に収められていることばだ。この邸の主は禅学に造詣のある人物らしい。
帰宅後、架蔵の岩波文庫版(足立大進編)で確認すると、出典は北宋の『景徳伝灯録[けいとくでんとうろく]』とあるので、さっそく国立国会図書館デジタルコレクションで当ってみたところ、語句にわずかな違いのあることが分かった。原典では「青山元不動 浮雲飛去来」なっているのだ。「青山もとより動せず、白雲自[おの]ずから去来す」と「青山もとより動せず、浮雲飛びて去来す」のあいだに、たいした違いはないようにみえるかもしれないけれど、ぜんぜんイメージが異なる。だんぜん「白雲」の方が鮮やかだし、「自ずから」というところに奥深い自発性が感じられるところもいい。雲の白と、緑なす青山の対比も効いている。
『景徳伝灯録』では、この対句が生まれた状況が示されている。唐代の禅僧霊雲志勤[れいうん・しごん]にまつわる話だ。ある僧侶が「如何でか生老病死を出離することを得ん(どのようにしたら生老病死の苦しみから抜け出すことができるでしょうか)」と問うたところ、志勤は、この句を以て応じたというのである。桃の花がさきほこるようすを見て悟りを開いたとされる志勤に如何にもふさわしい逸話だが、問答に即して考えれば、対句は、こんなふうに解釈することができる。「生老病死」すなわち仏教でいう「四苦」は、しょせん逃れえぬものであるとして、しかし、それによって自己の本体が変わるわけではないのだ、と。『般若心経』の文句を借りれば「老も死もなく、また、老と死の尽くることもない」と言い換えることもできるだろう。
だが、この対句は、こうした解釈を遥かに越える魅力をたたえている。大空を去来する白雲の輝きと、それらが影を落とす青々とした夏山の光景が文字を介して脳裡いっぱいにひろがる。地学的な時の流れにおいて山もまた白雲のように去来する存在であり、去り行く白雲と流れ来る白雲とは「白雲」であることにおいて何ら変わりはない。山に対して雲が動き、雲にとっては山が動くという相対的な運動のイメージを思い浮かべてもいい。ようするに、この句において無常と常在はひとつであって、ふたつの事柄ではない。そのことが鮮明な夏の光景において無言のうちに示されている。
ちなみに、この語は禅宗の最古の宗門史である『祖堂集』までさかのぼる。そこに「白雲は白雲の好きにまかせ、青山は青山の好きにまかす」ということばが見いだされるのである。白雲も青山も、それぞれに自在であれと説いているわけだ。Let it be.といってもいい。
しかし、それにしても、いかなる思いから、円柱状の碑が庭に立てられたのだろう。その奥には傾斜地に沿う細道がつづいているようにみえたが、ひとを仏心へといざなう企てでもあるのだろうか。それゆえ通りから望むことのできる位置に敢えて立てられもしたのだろうか。もしかするとセメント製だったかもしれないあれらの柱は、強い光のもとで白い石のように輝いていた。十の文字を身に帯びて光のなかに静かに佇んでいたあの日の円柱の姿は、忘れがたい初夏のかたみとなった。
2021年5月19日