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TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第49回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

理性の眠りは怪物を生む。

――フランシスコ・デ・ゴヤ、銅版画集『ロス・カプリーチョス』第43番の題詞

 

原文はEl sueño de la razon produce monstruos。意味するところは、理性の不在が怪物を出現させるのだというように理解できる。このように理性の重要性を説いたことばとみるのが一般的な解釈だろうし、ゴヤ自筆の註釈も同様の見解を示している。

 ところが、「眠り」と訳したスペイン語sueño(スエーニョ)には「夢」の意味も含まれる。すなわち「理性の夢が怪物を生む」とも訳し得るわけで、こうなると意味合いが大きく変わってくる。理性の不在が怪物を生むのではなく、理性の見る夢から怪物が出現するという解釈が成り立つわけで、これを踏まえるならば、仮に「理性の眠り」と訳すとしても、それは理性のはたらきの一様態を示すということになる。怪物というのは理性の光につきまとう影、あるいは理性の光が孕む闇と解されるのだ。

 画面に目を向けると、机にうつ伏して眠る画家の姿が左下に描かれており、机の背板には上に引いたことばが大きく、しかし、はかなくうっすらとしるされている。眠りに落ちた画家の背後には羽角[うかく]を立てた梟の群が――蝙蝠らしき影も交えて――迫っている。これらは理性の眠りが出現させる怪物の先触れとみられるが、sueñoを「夢」と解するならば、化物じみた梟や蝙蝠は理性によって夢みられたものだということになる。

 これに関して興味深いのは、梟が知恵の女神ミネルヴァの使わしめであることだ。それゆえヘーゲルは、自身の想い描く哲学を――現実の探究を介して理性的なものの根本に迫ろうとする哲学の在り方を――「ミネルヴァの梟」に譬えてみせもしたのだが、このように思いをめぐらすとき、梟たちの襲来は理性に対する覚醒の促しのようにも見える。眠っている画家の背後の床で、大山猫[リンクス]が、梟の叫喚に首をもたげ耳をそばだて、大きく見開いた目を爛々と輝やせている姿も理性の覚醒を寓しているとみてよいだろう。ヨーロッパでは、古来、大山猫[リンクス]は、対象を鋭く見透かす眼力の持ち主とされてきたのである。

 ここで注意を引くのは、眠れる画家の左側に在って描画用のチョークを画家に差し出している一羽の姿だ。描くことを促しているわけだが、いったい何を描かせようとしているのだろうか。夢から覚めて現実を描けと促しているのだろうか。おそらく、そのように理解するべきなのだろうが、しかし、梟が怪物たちの先触れであるとすれば、化物たちこそ理性の眼を以て描くべき現実なのだと煽っているようにも見える。

 理性の夢から飛び立った梟たちは画家の理性を覚醒へと駆り立てながら、理性の夢から生まれ出る怪物たちの姿を描くよう仕向けている。このように解するとき、この銅版画は理性のアンビヴァランスの表現と見ることができる。みずからの夢と向き合うことが理性に求められているわけで、これは理性における闇と光の相克と言い換えることもできる。あるいはここで、大きく目を見開く大山猫[リンクス]が夜に属する獣であることを、そして、梟が明視と睡眠の表象とみなされてきたことを思い併せてもよいかもしれないが、しかし、それより何より、夜の鳥たちと獣たちの不穏な到来を描いたこの絵が、理性による内なる闇の見事な描写となっていることにこそ思いを致すべきだろう。そもそも『ロス・カプリーチョス』を貫くモテヴェイションには、理性によって抑圧されてきたものたちへのなみなみならぬ関心が窺われるのである。

 ウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーがロシア・ウクライナ戦争の惨禍にみまわれたひとびとからの聞き書きをまとめた『戦争語彙集』(ロバート・キャンベル訳)のなかに、こんなことばをみつけた。

 

「理性の眠りは怪物を生む」とゴヤは言いました。いくつもの意味が考えられそうですが、今、一つを選びだして言うのなら「無理を押してでも、現実に抗[あらが]って考えていなければならない」ということです。

 

キーウ在住のスタスという人のことばである。この一節に先立って「白昼の現実よりわたしの眠りの方がリアルです」「現実は眠っている間に近寄ってくるんです」としるされていて、引用部分に複雑なニュアンスを与えている。

 いくつもの意味が錯綜するようなおもむきなのだが、sueñoを「夢」と捉えるならば、ウクライナのひとびとのおかれている状況が徐々に――あたかも現像液のなかの写真のように――浮かび上がってくるように感じられる。ウクライナのひとびとは、理性の光と理性の孕む闇とが相克する困難な状況におかれているといえるのではないか――そのように思われてくるのだ。

 この状況は、しかし、ウクライナにのみかかわるものではあるまい。ロシアも、アメリカも、極東のわたしたちも、この状況と決して無縁ではありえない。地球の到るところで「理性の夢」が怪物を次々と生みだしている。

 

 

 

フランシス・デ・ゴヤ『ロス・カプリーチョス』:理性の眠りは怪物を生む (1799年) Courtesy National Gallery of Art, Washington

  

2024年2月14日
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