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TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第47回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

それらの山々の麓のところで、羊毛のような雲が長くつづいて河の上にかかっていた。私達の下、カフェ河の左岸にひろがっている平原には、私がアフリカにきて以来一度も見たことがなかったほど大きな野獣が多くすんでいた。幾百頭もの水牛と縞馬がひろびろとした空地で草を食べ、木々の下では、威風のある象が堂々たる様子をして物を食べていた。(…)この珍しい光景を、そして鉄砲の数が多くなるにつれて消え失せてゆく運命にあるこの光景を、写真におさめておきたかった。
――デイヴィッド・リヴィングストン/菅原清治訳『アフリカ探検記』(原著1857)

 

少年の日にリヴィングストンの伝記を読んだとき強く印象に残ったのは、アフリカの過酷な風土に踏み込み、道を切り拓いてゆく果敢な探検家の姿だった。奴隷貿易廃絶への意志や医療行為によるヒューマニズムの実践も心に残ったものの、探検家のイメージは、それらをはるかに凌駕していた。アフリカがヨーロッパの植民地支配から脱して、つぎつぎと独立国が誕生していった時期のことである。
 リヴィングストンは1840年にグラスゴーからアフリカへと旅立つ。「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカに西欧近代の光をもたらそうとするプロメテウス的な意志に促されてのことであった。だが、彼を探検へと駆り立てたのは啓蒙の意志ではなく、未踏の風土への憧憬であった。そのことを窺わせるのが、ここに引いた一節だ。アフリカ南部のザンベジ川がカフェ川と分岐するところを目指す道すがら、山の頂で目にした光景をしるし留めたこのくだりには、悠然たるアフリカの風土への讃嘆と慈しみの念が響きわたっている
 リヴィングストンの探検行は、アフリカに関する数々の情報を大英帝国にもたらし、その結果、英国によるアフリカ支配が推し進められることになるのだが、それは、彼の本意ではなかった。リヴィングストンを突き動かしていたのは未知への情動であった。未知なるものを見届けたいという思いであった。その思いもまた大英帝国の枠組みのなかで初めて可能となったといえないこともないとして、しかし、未知への情動はその枠組みの外部への促しでもあったろう。
 本格的に探検に乗り出す契機となったヌガミ湖発見の旅、その途上で塩湖の蜃気楼に出くわすくだりは、彼の未知への情動が感性の悦びに通ずるものであったことを示している。「入日が青色のぼんやりした美しい光で白い塩湖の面を照らしていて、広い塩湖はまさしく湖のように見えた」とリヴィングストンは書いている。「波は踊り、木の影は完全に写し出されて」おり、群れをなす縞馬の姿が、まるで象たちのように見えたと。そして、やがて「もうろうとしている大気の中に裂目のようなものができ、それらの幻影は消え失せてしまった」と。ここには、うつくしいものの生成消滅の刹那性が言外に語られている。
 菅原清治の訳は、原書の半分ほどに切り詰められたもので、改変や要約も行われているということだが、ここに引いたくだりは原書 Missionary Travels and Researches in South Africa と対応している。

 

2023年11月24日改稿

2023年11月15日
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