芸術表象専攻/芸術文化専攻 教授 北澤憲昭
全体を覆った砂を払いのけてみると緑色が現れた。ガラスだった。不透明と言っても差し支えないほど濃い緑色をしていた。(中略)それはただガラスであるというよりほかないものだった。しかし、それは同時に高価な石であるとも言えた。
――ヴァージニア・ウルフ/西崎憲訳「堅固な対象」(1918)
原題は“Solid objects”。複数形が用いられていることからもわかるように、この小説に登場するオブジェはガラス片だけではない。砂のなかから宝石のようなsea glassを拾い上げたのがきっかけとなって、有能な青年政治家であるジョンは、磁器、琥珀、大理石、化石、鉄など、さまざまなマテリアルの断片的オブジェを蒐集しはじめ、ついには蒐集癖が昂じて政治家としての地位を失うまでに至る。
ウルフの短編中、最高の傑作と評されるこの小説は、人間の生においてオブジェがもつ呪的な力を描いた作品として読むことができる。solidというのは、生の曖昧さに対置される在り方であり、それゆえ、生の有りようを相対化せずにはおかない。呪符は、曖昧な生を相対化し、身の上に根底的な変化をもたらすことによって、それを手にした者の生をまもるのだ。
ジョンが、手にしたガラス片を、ためらいつつポケットにすべりこませる場面において、ウルフは、道に散らばる小石のひとつを子どもが拾い上げるときの衝動を引き合いにだしている。そして、ジョンの独白。
拾われたのは私なのだ、この私、私。
オブジェは書物のなかにも見いだされる。それは「引用句[クオート]」と呼ばれ、ほんらいの文脈から切り離して取り上げられる。すなわち、さまざまな文脈へ向けて解き放たれる。
これからしばらくのあいだ「摘読録」という名のもとに、愛蔵の書物のなかから、sea glassのようにsolidでうつくしい言葉の断片たちを拾い上げて提示してゆきたいと思う。とはいえ、けっして引用句辞典のような気の利いたものをめざしているわけではない。めざすところは、いうなればファウンド・オブジェの標本箱のようなものにすぎない。
2024年1月16日改稿