女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
――西脇順三郎「旅人かへらず」(1947)
古びたゼンマイを巻くようなカケスの声。そのイメージが引き起こす唐突な転調。
この切断はシュルレアリスムのディペイズマンを思わせるが、それは俳句における「取り合わせ」を思わせもする。「取り合わせ」の魅力は、意味やイメージや音を程よく調和させることではなく、むしろ、異和によって詩的空間を立ち上がらせる点にこそあるのだ。
あるいは、ここから俳句における和文脈と漢文脈の結合に思いを馳せることもできる。ビー玉をぶつけ合うような孤立語(漢文)の乾いた詩法を、膠着語(和文)の纏綿たる抒情に挿入する俳諧的やり方で、西脇順三郎は日本の詩に君臨する短歌的抒情にハレーションを引き起こし、それによって、古典的語法をモダニズムへと一挙に転位させたのである。
エズラ・パウンドが西脇の英語の詩を褒め称えたのは、西脇の詩に、こうした俳諧の妙味を感じ取ったからだったのかもしれない。パウンドは漢詩や俳句に関心を抱き、フェノロサの漢字論の編纂も手掛けているのである。
「旅人かへらず」にみられる切断の発想は西脇の詩法全般に通底している。自身の詩法について述べた「あむばるわりあ」のあとがきの一節を引く。
一定のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取去つたり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へるのである。
つづく一節で西脇は、経験世界に変化を引き起こす詩のメカニズムを「小さい水車」に喩えて、こんなふうに言い換えている。この水車の力によって経験世界にかすかな「間隙」が生じ、それを通して「永遠の無量なる神秘的なる世界を一瞬なりとも感じ得る」のだ、と。この「小さい水車」に回転をもたらすのが「考へる水」であることはいうまでもない。
2023年3月22日改稿
2023年3月9日