女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭
自由などほしくありません。出口さえあればいいのです。
――フランツ・カフカ/池内紀訳「ある学会報告」(1917)
学会における講演の記録を、そのまま短編として成り立たせるという趣向の作品だ。講演者は、アフリカの黄金海岸で捕獲された猿。彼は、捕まったあと檻に入れられてハンブルクに搬送されることになるのだが、その船旅の途中で人間のことばを身につける。それが檻の「出口」にほかならないと考えたからだ。
船員に向かって「よう、兄弟!」と呼びかけたのが第一声だった。ハンブルクに着くと彼は調教師にあずけられ、さまざまな教育を授けられる。そして、「ヨーロッパの人間の平均的教養」を身につけた猿は見世物小屋の人気者となり、学会の講演会に招かれるまでになるのである。
猿は、冒頭の言葉に先立ってこう述べる。
ついでにひとこと申しておきましょう。人間はあまりにしばしば自由に幻惑されてはいないでしょうか。自由をめぐる幻想があるからには、幻想に対する錯覚もまたおびただしい。
引用したことばは、逃走線さえ確保できれば、それでいいという意味だが、しかし、猿の発言に反して、逃走は「自由」にかかわっている。しかも、「消極的自由(liberty from)」と「積極的自由(liberty to)」とにかかわっている。このことを「出口」という語の両義性が指し示している。外部への出口は、内部からの出口でもあるからだ。
猿は「ハーゲンベック商会」の猛獣狩りで捉えられたことになっているが、ハーゲンベックは実在の人物で、サモア人とサーミ人の〝展覧〟を行ったのち、動物園をハンブルクに開園した。