先生の本棚から

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第7回

芸術表象専攻/芸術文化専攻 教授 北澤憲昭

  

犀の角のようにただ独り歩め。

――『スッタニパータ』中村元訳

  

「スッタニパータSutta Nipāta」は上座部仏教(小乗仏教)のパーリ語経典である。

  

犀の皮は、あらゆる動物のなかで最も堅いといわれ、肉食獣の牙や爪から身を守る鎧の役割を果たしている。そのためか、犀は単独で行動する。上に引いた言葉が、こうした犀の習性に由来するのはいうまでもない。ただし、経典には「犀のように」と書かれてはいない。そこには「犀の角のように」とある。なぜだろうか。

  

視力の弱い犀の視線は遠くまでとどかない。しかし、鼻先の角は、しっかりとらえているにちがいない。鼻先に突き出た角は、犀の巨体が前進する指針の役割を果たしているかにみえる。「犀の角のように」というのは、おそらく、このことにかかわっている。

  

犀をみちびく指針としての角は犀自身に属している。すなわち犀の意識の尖端は犀自身に集中している。経典の言葉の焦点はここにある。思うに、このことばは「梵我一如[ぼんがいちにょ]」――宇宙の支配原理である「梵Brahman」と、個々人の支配原理である「我Ātman」とが、ひとつであって、ふたつではない――という教義にかかわっているのだ。

  

「独り」というのが身体的な事柄でないのはもちろんのこと、それは精神的孤独という意味でさえない。このことばは、宇宙と自己がひとつであるということを、したがって孤独が「孤独」でありえないことを示している。

  

犀は、みずからの角を指針として歩みをすすめる。しかし、その角は犀自身を遥かに超え出るものと繋がっている。「ただ独り」歩む犀の姿は、だから、近代的な「主体」概念では捉えきれない。それは、別の主体のありようを暗示している。英訳の『スッタニパータ』を読んだニーチェが、1875年の書簡でこのことばを愛用語として引用しているのも納得がゆく。

  

  

2020年9月29日改稿

2017年3月31日
Top