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TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第14回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

  

ところで、この制度語彙は本書においては広い意味を託されている。法とか政治とか宗教とかいった古典的な制度のみか、技術や生活様式、社会関係、言葉と思想の変遷などに示されるより潜在的な制度も含めるのだ。われわれの研究目的がこうして関連する語彙の生成を過不足なく明らかにしようとするところにある以上、制度語彙とはまさに汲めども尽きぬテーマと言えるだろう。

――エミール・バンヴェニスト/前田耕作監修、鶴岡真弓ほか訳『インド=ヨーロッパ制度語彙集』「序文」より(1969)

  

よく知られているように、1990年代は、日本美術史研究が「制度」論を梃に、みずからを大きく転換させた時代だった。しかし、その起源に、このバンヴェニストの大著があることを知るひとは少ない。上記は、まさにその起源に位置することばである。

  

ロラン・バルトは「なぜ私はバンヴェニストが好きか」というエッセイで、この碩学に次のようなオマージュを捧げている。「バンヴェニストは、たえずことばの問題に身を浸しながら、ことばとは無関係だとかことば以前の問題だなどと考えてしまいがちなことすべてを拾いあつめる、というこの決定的なレヴェルでつねにことばをとらえていた。まさにそこに彼の成功があるのだ」(松枝至訳)、と。

  

1990年代に、美術をめぐる制度について調べ考えたことを発表し始めたころ、そんなことは美術史でもなんでもないと、よく言われた。こちらとしては「美術史」かどうかなど、どうでもよいことだったので聞き流していた。自分の関心は、美術史がそのうえに成り立っている「美術」というジャンルの形成過程をあきらかにすることだったから、そもそも、自分の研究が美術史であろうはずがなかった。

  

美術と無関係だとか、美術以前の問題だなどと考えてしまいがちなことを拾い集めることで「美術」ジャンルの成り立ちを――歴史と構造を――見極めるというこの「決定的なレヴェル」、いいかえれば美術と非美術の境界こそ制度史が展開すべき場所なのだ。

  

  

2020年9月29日改稿

2017年12月4日
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