こぼれ話

EPISODE こぼれ話


スマホと読書

大学院 芸術文化専攻 花奈

 

大学の近くに1人の部屋を持つまで、通学時間が長かった。片道2時間弱、乗り換えの時間を差し引いても1時間半以上、1日3時間、週5日通学するとして、週15時間手持ち無沙汰の時間があるということになる。時給1,000円のバイトに費やしたとすると月に60,000円分以上の時間を、私は電車とバスに吸い上げられていた。

 

 この時間をいかに過ごすかで私の大学生活は決まる。手始めに私は同級生の間で流行っているスマホのゲームアプリをいくつかダウンロードしてみた、当時の友人たちはもっぱらそれらの話をしていたからだ。すぐにバッテリーの消耗がえげつないことに気づく。スマホが熱くなるのだ。恐らく1時間程度の通勤・通学時間の合間の暇を癒すことなら出来るのだろう。だが、1時間半ともなると話は違う。私の手のひらで小さな機械が音をあげていた。私はハードに対してソフトが重すぎる傾向があるなあとか、やはりスマートフォンはまだまだ発展段階にあるのだなあとか、ゲーム専用の機械で行っていたパフォーマンスをスマホのようなマルチ機器に強いているのがそもそもの間違いなのだとか、色々と考えを巡らせながらゲームアプリを全て切り捨てた。ついでに友人たちとも疎遠になった。構わぬ。スマホのバッテリーの方が大事だ。

 

 さて、それではどのようにして月60,000円分の時間を活用するか。読書の習慣が無かった私でもその手段として本を手に取るまでさほど時間はかからなかった。せっかく読書をするのだから、学術書や古典を読んで、中学高校とお勉強をサボってきた過去を清算したいものだ。当時新訳が出たばかりのハイデガーの『存在と時間』を読んでから、私の、私の時間に対する駆り立てはより激しくなった。公共交通機関の内部で幽閉されている時間のみならず、それまで遊びに使っていた帰宅後のフリータイム、寝る前のひととき、かつて友人と過ごしていた休日、私の孤独の時間の全てをいかに豊潤なものにするかに心血を注いだ。

 

 論理学を学んでみたり、英文を読み上げてみたり、詩集を読んでわけが分からねえとぶん投げてみたり、それでも気になったものを書き写してみたり、疲れた夜には色々な酒を飲んでみたり、自分の好きなワインのブドウの品種は何か探ったり、好きなアニメ映画のセリフの引用元の本を揃えて自室に専用の棚を作ったり、ケチをつけるために流行りのアニメを見てみたり。そうして得た教養や知識を、バラバラにして食べやすいようにアレンジを加えてインターネットに垂れ流していたら、私と同じように豊潤な孤独の時間を持っている人と何人か知り合えた。彼ら、彼女らと話すのは楽しい。真剣な議論になることはけしてないが、実に、実にウィットに富んだ会話をすることが出来る。かつて〝コミュ症〟だった私も、今では知らない人であっても話をするのが苦痛でなくなってきた。

 

 一人暮らしを始めて長い長い通学時間から解放されても、私は読書や勉強をやめてはいない。私の孤独の時間は暇な時間ではなく私にとってかけがえのない時間に変質を遂げた。会話のための孤独。孤独のための会話。インプットとアウトプット。紙の本とスマホ。これらはすべて繋がっているのだ。週15時間の手持ち無沙汰と脆弱なスマホのバッテリーが引き金となって、私は今、最高に楽しい時間を生きている。

 

2017年4月7日
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