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NEWS 図書館からのお知らせ杉 並


杉並図書館員推薦図書コーナー 11月

杉並図書館員推薦図書コーナーを入れ替えました。

展示されている本は貸出可能です。詳細はDVD架横の杉並図書館員推薦図書コーナーをご覧下さい。

全6冊です。

 

〈女子美客員教授いせひでこ先生の著作〉

『タブローの向こうへ : 旅する絵描き』

 

〈女子美OG/特別招聘教授コンドウアキ先生の著作〉

『リラックマ大図鑑 : リラックマ検定公式ガイドブック』

 

〈女子美OG高橋みどりさんの著作〉

『おいしい時間』

 

〈女子美関連の本〉

『仕事場訪問』

 

 

『遊び心のあるデザイン : 視線を勝ち取る「ウィット」なアイデア』

 

『北欧ヴィンテージ雑貨を探す旅 』

 

 

 

2020年11月4日

NEW BOOKS 新着情報杉 並


10/29 新着図書

【女子美OGの本】

 

『大人の恋愛ライフ』

パリ流衣食住について執筆してきた女子美OG米澤よう子さんの、パリ流恋活ハウツー本。恋をする前の心構えから、服装、出会いまで、リアルな大人の恋愛活動を提案。

 

【書評に取り上げられた本】

 

『変われ! 東京 : 自由で、ゆるくて、閉じない都市』

大都市東京はどう変わっていくのか、変わるべきなのか。建築家・隈研吾とジャーナリスト・清野由美が語る都市論。

 

『欲が出ました』

人気絵本作家・ヨシタケシンスケのエッセイ集第2弾。日常出てくるさまざまな「欲」をゆるくてかわいいイラストとともにまとめています。

 

【図書館員の注目本】

 

『森、湖、空の生き物 (ハリー・ポッター映画大図鑑:第1巻)』

映画「ハリー・ポッター」に登場する生き物や場所をテーマごとにまとめた図鑑。1巻は森や湖の生き物について。アラゴグやバックビークなどの詳しい情報が満載。第8巻まで所蔵中。

 

『4さいのこどもって、なにがすき?』

かけっこ、ストローで飲むジュースに、変な顔、、小さい子のささやかな好きなことを描いた、素朴でどこか懐かしい風合いの絵本。私もこれ好き!と共感する子も多いはず。

 

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2020年10月28日

NEW BOOKS 新着情報相模原


10/21  新着図書

【女子美OGの本】

『芥川家の猫たち』
芥川 耿子 文 / 芥川 奈於 絵
春陽堂書店
女子美OGの芥川耿子さんと芥川奈於さん両名による、猫たちとのほのぼの日常エッセイ。かわいらしいカラーイラストとあたたかみのある文に猫好きゴコロがくすぐられます。


【図書館員の注目本】

『21世紀の新しい職業図鑑』
武井 一巳 著 / 秀和システム
「10年前にはなかった!」AI時代を迎える現代では新しい職業が次々に誕生しています。各職業を「職業適性」と「仕事指数」の2つのチャートで分かりやすく紹介。 


『はじめてでもわかる!イラストでお金を生み出す秘訣』
虎硬 著 / KADOKAWA
イラストレーターでもある著者によるQ&A形式で、イラストでお金を稼ぐには?という気になる疑問をズバリお答えします!


『ディック・ブルーナ : “ミッフィー”を生んだ絵本作家』
ブルース・イングマン, ラモーナ・レイヒル著 北川玲訳
河出書房新社
生涯で創作した絵本は124冊、うちミッフィーの絵本32冊は50か国以上に翻訳され、世界中に愛されるディック・ブルーナ。どのように彼が生き、ミッフイーを生み出したのか。未公開資料と合わせてブルーナ自身の人生を見つめます。

こちらもおススメ→『ミッフィー展 : 誕生65周年記念』



他全43冊

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2020年10月21日

NEW BOOKS 新着情報杉 並


10/21 新着図書

【女子美OGの本】

 

『きみにありがとうのおくりもの』

女子美OG宮野聡子さんの絵本。仲良く暮らすこりすとくま。ある日ふたりは互いのおかげで幸せに暮らせていることに気づきます。感謝と思いやりの大切さに触れる絵本です。

 

『きりばあちゃんのともだち』

女子美OGなかやみわさんの絵本。年をとり切り株になったきりばあちゃん。遠くの街は見えなくなりますが、新しい世界、新しい出会いが始まります。

 

【書評に取り上げられた本】

 

『アフリカ出身サコ学長、日本を語る』

マリ共和国出身で、京都精華大学長になったウビス・サコ氏の自伝。自身の境遇や経験から、日本や日本の教育について感じたことが綴られています。

 

『うつわ使いがもっと楽しくなる本。 : 選ぶ。そろえる。合わせる。』

素材や形、メンテナンスなどの基本情報から、配膳の際の組み合わせ方、作家さんの作品紹介にコーディデの紹介まで、うつわ使いのすべてがギュッと詰まった1冊。

 

 

『東京、コロナ禍。』

写真家・初沢亜利の捉えたコロナ禍の東京。マスクをしたペコちゃんの後ろで働く外国人労働者を捉えた写真など、単なる記録にとどまらず考えさせられる1冊。

 

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2020年10月21日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第32回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

幅のひろい水によって大陸から隔てられ、尊大な気分によって僚友たちから隔てられたまま、彼は、極度に分離した、連絡のない姿となって、髪をひらめかせながら、ずっと向こうの海のなかを、風のなかを、霧のごとく無際限なものの前をそぞろ歩いていた。

 ――トーマス・マン/実吉倢郎訳『ヴェニスに死す』(岩波文庫、2000)

 

すでに富と栄誉を手にした初老の作家グスタアフ・アッシェンバッハを旅へと駆り立てたのは「内心の空洞と生物学的な衰微」であった。「内心の空洞と生物学的な衰微」というのはアッシェンバッハが描き出す人間像にかんする評言だが、思うに、これはアッシェンバッハ自身にも当てはまる。年齢をかさねるにつれ、この作家の作風は奔放性や新味のある陰翳を欠くようになり、硬質な定型性を帯びるようにさえなっていたからだ。「生物学的な衰微」を克服し「内心の空洞」を生気で満たすために、とりあえず遠国の空気につつまれて怠惰な「即興的生活」を送ることが――優雅な無為が――必要だと彼は考えたのである。この心的「空洞」と生物的「衰微」が出現させるモアレの変幻として、あるいは、心身における凋落と賦活のアイロニカルな矛盾として、この小説は展開してゆく。

 

心身を恢復させる「即興的生活」を求めて訪れたヴェニスで、作家は小説のタイトルにあるように「生物学的な衰微」の極に立ち至ることになるのだが、衰微の兆は早くも小説の冒頭に見いだされる。真新しい十字架や墓碑の並ぶ石工場の柵に沿って、アッシェンバッハが五月のミュンヘンを散歩しているところから、この小説は始まるのだ。そればかりではない。彼の旅心を誘ったのは、散歩の途中、夕日に照らされる斎場で目にした不思議な異国風の男の姿だった。

 

旅の行き先をヴェニスに選んだことにも衰微の徴候が見いだされる。かつて同じ季節に訪れたヴェニスで彼は健康を害したことがあるのだ。潟[ラグーナ]の腐臭を運ぶ湿った熱風[シロッコ]に体調を崩したのである。それにもかかわらず、アッシェンバッハがヴェニスを滞在先に選んだことには、この初老の小説家の無意識の傾斜が示されている。彼は執筆のために肉体的な基盤を整えようと意図しながら、それと矛盾する行動をとっている。すなわち、生の充実を求めつつ、彼は「死の欲動[タナトス]」に駆り立てられていた。あるいは、逃避的に「死の欲動[タナトス]」に心身をゆだねようとしていた。

 

船路[ふなじ]でヴェニスに着いた作家は、ゴンドラと小型蒸気船[ヴァポレット]を乗り継いでリド島のホテルに向かうつもりであったが、差し出がましい船頭[ゴンドリエーレ]によって、ゴンドラに身を託したまま目的地まで運ばれてゆくことになる。「ほかのあらゆるものの中で棺だけが似ているほど、一種異様に黒い、このふしぎな乗物」に揺られて作家は死地へと導かれてゆくのだ。ゴンドラが棺であるならば、船頭[ゴンドリエーレ]は、さしずめ冥府の渡し守カロンというところだろう。

 

 

ホテルに落ち着いたアッシェンバッハは、やがてホテルの泊り客のなかに端正な顔立ちの少年を見いだし、たちまち心を奪われる。ロビーで、食堂で、エレヴェイターのなかで、ホテルの宿泊客専用の渚で、彼は少年を見る。その姿を追い求める。作家は、タッジオという名のそのポーランド人少年を古代ギリシャ彫刻になぞらえ、あるいは、生きている古代ギリシャ彫刻と見なして嘆賞する。彼は、純粋に完成された形式が比類のない個性のなかに実現されている姿を、そこに見いだしていたのである。

 

普遍的な形式が個別的な存在として実現するというのは一種の矛盾であり、この矛盾は優れた芸術作品というものの特質といえるのだが、しかし、それはやがて危険な裂け目となってアッシェンバッハを呑み込むことになる。そのように小説は展開してゆく。心を介して生を整え、秩序を与えるはずの形式が、形式それ自体の放つ魅力によって心を捕えることになるのだ。

 

こうして、アッシェンバッハはみずからの外部に、魅惑の源泉として形式を見いだすことになる。それによって生は、みずからを内在的に秩序づける形式から解き放たれることになる。いいかえれば、形式とのあいだに隙間が生じる。このことは作家が、ディオニソスの狂宴の夢を見る場面にはっきりと示されている。ディオニソス的なアモルフな生への渇望に彼を駆り立てたのは、もちろん少年の存在だった。ホテルの宵のテラスでタッジオが彼に微笑みかけたとき、老作家は動揺し、急いでその場をはなれ、おののくようにしてつぶやきを洩らす。Ich liebe dich!、と。

 

陳腐ともいえるこの愛の決まり文句は、空洞を抱え込んだ内心を共鳴胴[サウンド・ボックス]として、作家の満身に響き渡る。この響きの谺のようにタッジオの面影が「内心の空洞」を一挙に充たし、溢れ、内心の形式を見失った初老の作家を呑み込んでゆく。みずからの思いが、品位も威厳もない常套句を介して認識にもたらされたとき、彼は、その認識を梃子として影像へと身をまかせることになる。形式Formと生Lebenの裂け目から出現した面影Bildに呑み込まれてゆく。

 

 

ゲオルク・ジンメルは1916年のエッセイ「文化諸形式の変遷」のなかで、「創造的生はたえず、(中略)固有の存在権をもって生に拮抗するものを生み出す」と指摘し、「生に拮抗するもの」を「形式」の語で言い止めている。その形式は、生のダイナミズムから産出されるのだが、そのダイナミズムゆえに生は形式を喰い破ろうとせずにはいない。こうした矛盾にジンメルは文化の本来的な悲劇性を認める。そして、同時代の芸術を未来派に代表させつつ、このようにいう。酒田健一の訳から引く。

 

生の発現がこの矛盾を避けるためにいわば形式を脱ぎ捨てたあらわな姿でおどり出ようとするとき、そこにあらわれるのはおよそ理解を絶したもの、わけのわからない叫喚であって、明確な発言ではない。そこには統一的な形式が当然はらんでいるあの矛盾や異質なものへの硬化がないかわりに、結局はただ、こなごなに粉砕された形式の破片のカオスがあるばかりである。

 

『ヴェニスに死す』が書かれたのは1913年、ジンメルのエッセイが書かれる3年前のことである。マリネッティの「未来主義創立宣言」の発表が1909年であり、運動体としての未来派はムッソリーニ政権発足後の1920年代半ばまで続くから、この小説は未来派の活動期に執筆されたということになる。つまり、『ヴェニスに死す』のトーマス・マンは、そして、グスタアフ・アッシェンバッハは、未来派が「こなごなに粉砕された形式の破片のカオス」へとなだれ込んでゆく時代のさなかを生きていたのである。日本に目を向ければ、生命主義的な表出を標榜するヒュウザン会(1912、1913年)が開催された頃のことだ。

 

しかしながら、アッシェンバッハは「わけのわからない叫喚」に陥ったわけではない。むしろ、タッジオの姿に触発されて古代ギリシャに心ひかれつつ古典的な形式性に従う文章を書こうと試みている。もとより「死の欲動[タナトス]」突き動かされている彼が、「生に拮抗するもの」を否定するわけがない。だが、彼は、形式の規律に生をゆだねているわけでもない。

 

彼の眼に映し出されるタッジオのうっとりするような姿は、アッシェンバッハが野放図な生と形式の規律との裂け目に活路を見いだしていることを示している。彼は、生の脱形式化がもたらす無秩序を、形式と生の裂け目から出現する影像によって回避しようとしている。作家を捕えている形式それ自体の魅惑とは、タッジオという個的な生においてあらわれた形式の魅惑であり、ここにおいて形式は、生にまつわる影像へと変成せずにはいない。形式的秩序でもなく、アモルフな生でもない影像の次元がそこに現出する。心身における凋落と賦活のアイロニカルな矛盾が、このようにして回避されるのだ。

 

美少年の面影に捕らわれた作家は、ついには、みずからをも面影と化そうとするに至る。ヴェニスへ向かう船で見かけた醜悪な若作りの老人さながらに、アッシェンバッハは理髪店で白髪を染め、化粧を施すことをみずからに許す。不毛な老らくの恋に身を焼かれる作家は、影像という粉飾によって「生物学的な衰微」からの逃避を計るのである。

 

 

そのころ、ヴェニスでは疫病がはびこりはじめていた。しかしながら、流行の事実と、その病名とは、社会経済を慮る当局によって滞在者たちに伏せられていたので――ちなみにいえば、当局による情報隠蔽の動機として「公園に開かれたばかりの絵画展覧会へのおもわく」が挙げられているが、これはヴェネツィア・ビエンナーレのことだろう――ホテルの宿泊客は呑気に日々を過ごしていた。しかし、アッシェンバッハは、理髪店で耳にした噂話と、そこかしこに漂う消毒液の匂に不穏なものを感じ取り、不安の念に駆られる。ドイツ語を耳にする機会が急に減ったことに気づいていた彼は、ドイツの新聞を丹念に読み、だいたいの状況をつかむ。そこには他国の新聞には見られない疫病関連情報が不確定ながら見いだされた。その後、彼はイギリスの旅行社で疫病にかんする詳細な情報を得ることになる。

 

蔓延しつつある疫病の名はコレラ、20世紀初頭のことゆえその致死率は8割、「けいれんとかすれた悲鳴のうちに、ちっそくしてしまう」悲惨なケースと、 「軽い不快ののちに、ふかい失神の形」で死に至るしあわせなケースとがあると小説には書かれている。疫病について、あらいざらい話し終えた旅行社の職員は、アッシェンバッハに今日にでもヴェニスを立つことを勧めた。

 

だが、作家は、さながらストーカーのごとくタッジオの家族たちをつけまわして、石炭酸の匂がたちこめるヴェニスの街をさまよいつづける。さまよいながら、青物商で買った熟れ過ぎた苺を口にする。砂時計の砂が竭きる刹那のように、時が終焉にむけて渦を巻き始めていた。

 

数日後の朝、いつものようにアッシェンバッハが渚に出ようとロビーを通りかかると、宿泊客の荷物が積み上げられている。門衛に聞いて、それがタッジオの家族のものであることを彼は知る。別離の情がもたらす動揺を抑え、何気ないようすを装って渚へと向かうアッシェンバッハは、その朝、体調がおもわしくなかった。心身にわたる眩暈、強い不安の念をともなう眩暈の発作に襲われつづけていたのだ。それは「外界に関したものか、それとも彼自身の存在に関したものか」わからない変調であった。外界と内面のいずれに帰することもできない異常な体感が裂け目となって、彼を呑み込もうとしていたのである。

 

アッシェンバッハは秋の気配の漂いはじめた渚のデッキチェアに身をゆだね、友だちと戯れるタッジオの様子を見守っていたが、少年たちのあいだにちょっとしたいざこざがあって、タッジオは、ひとり浅瀬を越えて砂州を歩いてゆく。冒頭に引用したのは、その情景である。このときタッジオは、海辺の光景のなかでほとんど影像そのものと化している。三脚に取り付けられたまま渚に置き去られ、黒い冠布[かぶり]を風にはためかせている撮影者なき写真機は、タッジオの変容を換喩的に示している。砂浜と砂州の境を成す水域を越え、水域に亀裂をはしらせる砂州に歩みを進めながらタッジオは急速に影像と化していった。

 

 

実吉捷郎[さねよし はやお]の訳によってここに引いたくだりは、もっと滑らかな表現を与えることもできる。最近の例から引けば、たとえば岸美光は次のように訳している。

 

広い水の帯によって固い地面から隔てられ、誇り高い気まぐれによって仲間たちからも 隔てられ、少年は歩みを進めていた。あらゆるものから切り離された、なにものとも結びつかないその姿は、髪をなびかせて、あの遠い海の中に、風の中に、霧のような無限の前にいた。

 

圓子修平は、このような訳を与えている。

 

幅の広い水の帯で陸地から隔てられ、誇り高い気紛[まぐ]れから仲間の者とは離れ離れになり、ひどくかけ離れた、取りつきようのない姿で、少年は髪を風になびかせながら離れた海のなかを霞む無限のなかを、ぶらぶらと歩いて行く。

 

これらの訳の方が実吉捷郎の訳よりだんぜん分かりやすく、現代的センスを宿している。だが、この場面は実吉訳がふさわしい。川村二郎が岩波文庫の解説でいうように「原文の形をそのまま訳文に写し取っている」ような、いささかぎくしゃくした文の組み立てが、たとえてみれば、ブロックノイズが発生し、切れ切れにフリーズするDVDの一場面のような語の配置が、アッシェンバッハの末期の眼に映るタッジオを彷彿させるからだ。最後に、いまいちど実吉捷郎から、そのくだりを、マンの原文と共に引いておくことにしよう。

 

幅のひろい水によって大陸から隔てられ、尊大な気分によって僚友たちから隔てられたまま、彼は、極度に分離した、連絡のない姿となって、髪をひらめかせながら、ずっと向こうの海のなかを、風のなかを、霧のごとく無際限なものの前をそぞろ歩いていた。

 

Vom Festlande geschieden durch breite Wasser, geschieden von den Genossen durch stolze Laune, wandelte er, eine höchst abgesonderte und verbindungslose Erscheinung, mit flatterndem Haar dort draußen im Meere, im Winde, vorm Nebelhaft-Grenzenlosen.

 

「無際限なもの」とは海であり、アッシェンバッハにとってそれは、単純で、巨大で、永遠で、完全なものにほかならなかった。そして、それは完全なものの一形態としての虚無でもあった。完全にして虚無。影像とはそのようなものとして、わたしたちを訪れるのだ。

 

遠くを指さすようなタッジオの姿に「望みに満ちた巨大なもののなかへ」と消え去ってゆくらしい兆候を見てとったアッシェンバッハは、少年のあとを追おうとしてデッキチェアから立ちかけたところで絶命する。その瞬間を見届けたのはタッジオだった。アッシェンバッハの眼差しにおいて影像と化しつつある少年は、何かに突き動かされるように振り返り、椅子の背に頭をもたれかからせている小説家へと視線を向けたのだ。このとき、グスタアフ・アッシェンバッハは、彼を眼差す[、、、]タッジオにおいて影像と化した。

 

そこには、もはや形式もなく生もない。生と死の境を越えて切れ切れにゆらめく影像が見て取られるばかりだ。生とそれを律する形式とのあいだに揺らめく影像、その遊動Spielのリズムに、老作家は消え入るように同期してゆく。息絶えた老作家の顔には、きっと愉楽の面持ちがみとめられたのにちがいない。それは生の不快から解き放たれた安堵の表情でもあったろう。

 

タッジオの眼差しが捉えた小説家の最期をトーマス・マンは、こうしるしている。

 

このときその頭は、いわばその視線を迎えるように挙げられた。と思うと、がっくりと胸の上へたれた。

 

 

2020年10月20日

NEWS 図書館からのお知らせ共 通


「遠隔授業および自宅学習支援のおしらせ」(DB)2020/10/19更新

【本学学生・ 研究生・科目等履修生 ・教職員対象】 COVID-19対応として、図書館はEBSCO Information Services Japan 株式会社のご協力により、オンラインコンテンツの 利用環境強化(在宅での利用や一時的なアクセス増)を期間限定で実施いたします。(12月19日まで)
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【EBSCO Academic Search Ultimate】臨時利用DB

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Art & Architecture Source】 (本学契約中DB)

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・ご利用期間:2020年10月19日~12月19日
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10,000誌以上の学術誌の全文情報を収録しており、天文学、人類学、生物医学、技術、健康、法律、文学、数学、薬理学、女性学、動物学など、あらゆる学術分野をカバーしています。2か月間無制限でアクセス可能になります。

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※希望者へ別メールで、臨時IDとPWをお送りします。  

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・相模原校地の利用希望者は、info-c@venus.joshibi.jp へ

件名「エブスコ臨時利用希望」で本文へ所属・氏名を明記してメールしてください。

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女子美術大学図書館

2020年10月19日

NEW BOOKS 新着情報杉 並


10/15 新着図書

【女子美OGの本】

 

『ちいさなかわいいおべんとうばこ』

女子美OG宮野聡子さんの絵本。野原に忘れられたお弁当箱は、見つけた動物たちによってお風呂やテーブルに変身!ほっこり可愛らしい絵本です。

 

『リサとガスパール キティちゃんをパリでおむかえ』

女子美OGで3代目キティデザイナーの山口裕子さん協力のもと、リサとガスパールがキティちゃんと夢のコラボ!3人(?)でパリの街を巡る楽しいお話です。

 

【書評に取り上げられた本】

 

『世界現代怪異事典』

20世紀以降世界各地で語られた妖怪や怪物を集めた事典。「イエティ」のようなメジャーなものから「下水道ゾンビ」なる全く聞いたことのないものまで800種以上掲載。

 

『名城の石垣図鑑』

日本各地の名城48の石垣を、写真付きで紹介。第壱章では歴史や種類、構造などの基礎知識を丁寧に解説。この1冊で石垣マニアになれそうです。

 

 

『東京老舗の名建築』

震災や空襲を逃れ現存する老舗飲食店の建築に注目した1冊。それぞれ建築や内装の見どころを解説。お店巡りに新たな楽しみが増えそうです。

 

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2020年10月15日

NEWS 図書館からのお知らせ共 通


シラバス掲載図書展示中!

 

授業の内容をもっと知りたいみなさん!シラバスには授業で使用する参考文献・参考作品が掲載されているのは知っていましたか?

 

現在、相模原図書館・杉並図書館では、2020年度シラバスに掲載されている図書をピックアップし展示中です。

もちろん郵送貸出サービスでもご利用いただけます。是非この機会にご利用ください。

 


 <↓相模原図書館展示中↓>


 『時をかける台湾Y 字路:記憶のワンダーランドへようこそ』
(比較文化論/大岡響子 先生)

 『持続可能な地域のつくり方:未来を育む「人と経済の生態系」のデザイン』
(デザイン・工芸選択実技A(空間)/田子裕子 先生・大河内麻衣子 先生)


 『14歳からのマーケティング』
(マーケティング論/遠藤礼奈 先生)


 『はじめてまなぶちからとかたち―構造入門教材』
(構造演習/村野清文 先生)


 『アートなガラスの材料学(2017年改訂版)』
(材料学B(陶ガラス)/新井敦 先生・鈴木寿一 先生)

 


<↓ 杉並図書館展示中↓>


 『生涯学習概論 第2次改訂版』
(生涯学習概論/佐藤晴雄 先生)


 『大学生のためのディベート入門 : 論理的思考を鍛えよう』
(日本語Ⅱ/稲葉和栄 先生)


 『GAFA×BATH : 米中メガテックの競争戦略』
(メディアマネージメント論/福森大二郎 先生)


 『場づくりとしてのまなび (ワークショップと学び:2)』
(ワークショップ演習/野呂田理恵子 先生・梅田亜由美 先生)


 『やる気はどこから来るのか : 意欲の心理学理論』
(教育心理学/高野光司 先生)

 

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2020年10月9日

NEW BOOKS 新着情報杉 並


10/8 新着図書

【女子美OGの本】

 

『ぞぞぞぞでんしゃ』

女子美OG薫くみこさん作の絵本。「ゆうやけひろば」えきの看板が落書きで「ゆうやみひろば」に。すると電車がゾゾゾと不思議な音を立てて動き出します。小窓からのぞくページが楽しい絵本です。

 

【女子美関連の本】

 

『アート・プロデュースの冒険』

アート・プロデュースの現場に携わる芸術家や研究者が行ったオムニバス講義をまとめた1冊。女子美OGで臨床美術士の大倉葉子さんによる、脳のモードを体験するプログラムが興味深い。

 

【書評に取り上げられた本】

 

『世界の工場廃墟図鑑 : 環境問題と産業遺産 : フォトミュージアム』

世界各地の廃墟となった工場を200点余りおさめた写真集。錆びて朽ち果てた工場は映画の世界のよう。

 

『わたしはフリーダ・カーロ : 絵でたどるその人生』

可愛い絵と日記でフリーダ・カーロの一生をたどる1冊。事実より彼女が語りたかったことを大事にした本書は心に響きます。

 

【図書館員の注目本】

 

『馬場のぼるのスケッチブック』

漫画家で絵本作家の馬場のぼるが残したスケッチをまとめた1冊。動物、植物、人物、など本当にたくさんのスケッチです。対象をよく捉えた線が生き生きとしています。

 

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2020年10月8日

TEACHERS' SELECTION 先生の本棚から


摘読録――My favorite words 第31回

女子美術大学 名誉教授 北澤憲昭

 

口は一文字を結んで静である。眼は五分のすきさえ見出すべく動いて居る。顔は下膨[しもぶくれ]の瓜実形[うりざねがた]で、豊かに落ち付きを見せてゐるに引き易[か]へて、額は狭苦しくも、こせ付いて、所謂富士額[ふじびたい]の俗臭を帯びて居る。のみならず眉は両方から逼[せま]つて、中間に数滴の薄荷[はつか]を点じたる如く、ぴくぴく焦慮[じれ]て居る。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら美しからう。

 

――夏目漱石「草枕」(1906)より

 

「草枕」のヒロイン那美の顔の描写である。描写しているのは、西洋画法を学んだ30代の旅の画家だ。画家は那美の父が所有する温泉地の屋敷に逗留している。ただし、画家といっても、この男は絵を描かない。彼はスケッチブックに俳句や漢詩をしばしば書き込むけれど、めったにスケッチはしない。これは、文芸と美術の別を厳しくいましめるモダニズムへの批判的スタンスの実践であるのだが、ここで那美の顔を言葉で描写してみせたのは、那美の顔が絵にならないということを示すためでもあった。

 

この一節に続けて「かやうに別れ別れの道具が皆一癖あつて、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだ」とある。統一感のない、いってみれば動的なコラージュのような面貌ということであり、画家は、それが内的な統一がないせいだと考える。「別れ別れの道具」のそれぞれを、背後の一点に引っ張るようにして、瓜実顔の輪郭のなかにきっちりとまとめ上げるものがないというのだ。つまり、絵にならない顔である。

 

では、顔に統一性を与える背後の一点とは、いったい何か。 

 

 

漱石は『文学論』で、文学を規定するのに「F+f」という式を掲げている。かんたんにいえば、文学のテキストには「認識的要素(F)」と「情緒的要素(f)」が、ともども備わっていなければならないということであり、これは絵画についても当てはまる。たとえば花を絵に描くとき、そこに何らかの情緒が寄り添うのは当然であるとして、図鑑のイラストとして描かれた花にとって、情緒は必須の条件ではない。「認識的要素(F)」が備わっていれば事足りる。

 

画家は、那美の顔つきに欠けているfを「憐れ」の情であると、やがて考えるに至るのだが、「憐れ」としてのfの欠落は実は画家自身が望むところでもあった。「非人情」であることを、芸術家としての――あるいは旅人としての――自己のスタンスと考えていたのである。「不人情」というのが情をかけるべき場面で情を発揮しない態度を指すのに対して「非人情」は、そもそも人情の外に立つことを意味する。そこに「憐れ」の情など望むべくもない。とすれば、那美の顔つきは、画家のそれでもありうる。人間の顔に統一性をもたらす内的な一点が「憐れ」の情であるのだとすれば、「非人情」の構えをとる画家自身の顔にも動的な不統一が認められるはずだからである。

 

画家が、宿泊地の床屋で、安物の鏡に映し出される自分の顔がさまざまに歪むのを目にする場面には、画家の顔の不統一性が示されている。画家は、右を向いたり、仰向いたり、前かがみになったり、左を向いたりして、みずから顔をさまざまに変形させるのだが、その歪みは鏡に由来している。

 

苟[いやしく]も此鏡に対する間は一人で色々な化物を兼勤しなくてはならぬ。

 

このようにして、鏡のなかの顔に動的な不統一性を画家は見いだす。目の当たりにした那美の顔に動的な不統一を見いだした画家の眼を、ここでは鏡が代替しているのだ。そして、そうだとすれば、那美の顔の不統一性は画家の眼に帰することもできるのにちがいない。引用した那美の描写と床屋の場面は対称を成しているのである。

 

 

不統一性ゆえに那美の顔は絵にならないと考える画家に対して、那美は「わたくしの画をかいて下さいな」という。「顔」を描いてほしいとはいわない。あくまでも「わたくし」と彼女はいう。だが、画家は、あくまでも顔にこだわる。顔を人間個々の表象と考えているからだ。眼前に突き出される顔は内的な統一点との関係において、その人間を代表する――そういう人間観が画家にはある。西洋派の画家としていたってまっとうな発想だが、那美の面貌はそれを裏切る有りようを呈しており、描く方も、内的統一と顔貌との均衡を成り立ち難くする「非人情」のスタンスを願っているとあっては、顔が描けるはずもない。 

 

結局、画家は絵筆を執って彼女の顔を描くことをせずに終わるのだが、小説の最後の場面で、那美の絵は「胸中の画面」として成就する。日露戦争の戦場に出征する那美の従弟と、満州へ渡る彼女の前夫を乗せた汽車を駅で見送る場面で、彼女に「憐れ」の情を画家が認めた刹那に内的イメージとして絵が成就するのである。画家は、汽車を見送る那美の肩を叩いて、「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」という。そのとき画家は彼女の顔を見てはいない。彼は「憐れ」の情を身体の発するオーラのようなものとして感じ取り、思わず彼女の肩に触れたのだ。画家が那美に触れるただ一度の場面である。

 

オーラとしての情緒。これは画家が密かに思い描く絵画の新たな可能性にかかわってもいた。再現性を踏み超えた「ムード」としての画面を彼は夢想し、遠慮がちながら「音楽の状態」(ウォルター・ペイター)に憧れを抱いていたのである。漱石がロンドンに留学したのはジェームズ・マクニール・ホイッスラーが《黒と金色のノクターン――落下する花火》(1875)を発表した二十数年後、色調によるムードを重んじるそうした画風が「トーナリズム」の名のもとにアメリカで注目を引いていた時代のことであった。

 

 

2020年10月6日
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